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嫌いだった言葉、伝えたいこと。

金延幸子を聴く。
彼女はうたう、「確かめるなんて、むだなこと」「時が解決してくれる」と。

10代の頃、この言葉が嫌いだった。
今分かりたくて、今解決したいのに、どうしてそんな遠くのことを言うのかと。
それは怒りで、同時に深い哀しみでもあったと思う。解決できないならば、せめて解決できない現実に寄り添う何かを与えて欲しかったのかもしれない。もしくは、何かヒントを出して欲しかった。

来るかもわからない未来でしか得られないなんて、そんな無責任なこと言う大人には絶対ならない、なりたくないと思っていた。

だから、今好きな言葉やうたを当時の自分が知ったら悲しむかもしれない。ひっくり返ってしまうかも…。
でもきっと、伝わると思うし伝えたいと思う。どうせ今すぐ得られぬ答えなら、抗うエネルギーを少しだけこちらに向けてほしい。
17の自分に、今思い悩むどこかの誰かに、未来(少しだけ長く生きている場所)から伝えたいことがある。
どうして時が解決するのか…。

17歳。9/1に学校に行かない選択をして、そこからしばらく部屋で過ごした。
「行きたくない」きっかけも、「行かない」と選択したことも、学校が社会で世界のすべてだった日常では、それを決断したことで必然的に周りとの調和がとれないアウトローになってしまった。
常に後ろ指を指されているような気持ちだった。
他人の目が怖かった。
足並みを揃えることはルールのようで、だから周りと合わせらないことは罪に感じた。
思えば、些細な出来事や小さな段の踏み間違えなのかもしれないが、頑張っても普通がこなせないことに対する罪悪感と絶望感…。
他人にされる何かも、それを見るまた違う他人の目があること、おそらくこう思われているだろうという自覚があること、それによって自分が自分を軽蔑する…すべてが分かりやすく地獄だった。
自分の話を例にして語ってしまって恥ずかしいけれど、とにかく9月が来るのが苦しみでしかない時季があった。


「学校に行かない」という選択で仕方なく増えてしまった時間(つまずかなければ普通に楽しい学生生活を送りたかった)でも僅かながら消えずに残っていた興味への矢印。
これだけはせめて折らずに育てようと決めた。社会から外れた以上は一人で、一人を保つ何かを失くしてしまったら、いよいよ自分を守れないと思ったから。

音楽を聴いた。
詩を書いた。
絵を描いた。
本を読んだ。

後々少し捻くれてしまったけれど、クラスメイトは知らないであろう音楽や読まないだろう本を手にとったことで、「できないこともあるけれど、知っていることもある」とか、受け身ながらも"周りと違うこと"を軸にしたことで、結果的に自他の両方から「比べられなくても済む世界」を見つけられた。
そうしたら、すべてだと思っていた学校以外の場所に、まだ見ぬ世界が無数に広がっていることに気がついた。
思っていた世界は狭くて、知らない世界は広かった。

その時はそうやってやりくりするだけで精一杯だったから、ただただひたすらに思うように過ごしていたけれど、それらを過去として見つめられる場所にきた今、経てきた時間を思いながら時の救いを感じる。

何もせずに時だけが解決をさせたのではなくて、哀しみの渦中で育てた興味が血となり肉となり骨となり、今ここに在る自分をつくった自信があるからそう思えるのだと思う。

明るくはない高校生活で、少しずつ開けていった世界と自分の心を振り返ると、「今社会のすべてを形成している教室の外はすごくすごくすごく広いよ」と思わず誰かに言いたくなる。

大学生、社会人と、自分で稼いだお金によって自由を増やして歩くと、責任のぶんだけ、選べる自由が沢山ある。選べるから、心のままに居場所を探せる。(高校生くらいだと、そもそも選べないこともあるかも。大人は楽しいよ。)
好きも嫌いも、すべての理由を自分の思いで決められるようになる。

仮に「逃げている」と言われたとしても、自分を守れるのは自分だけだし、命も心もこれから続く人生を考えたら守るが勝ちのようにも思う。逃げていいんだよ。

ただ、その場その場の選択の良し悪しは正直わからない。選択をする「今」では。
でも、悩んで選んでやりくりした過去の分だけ、「よかったことかもしれない」「あれがあって今があるのなら…」と納得を導ける。
9/1に学校に行かないことを選んだ当時は「道を踏み外した」と思っていたはずなのに、「選択のひとつ」として尊重できる自分が自然とここにいた。

それがたぶん、「時が解決する」ことなのだと…。
だから今わからないことは未来に歩む中でできていく、自分の後ろに伸びた道が意味をつくるんじゃないかと。

「時が解決する」の言葉と距離を縮めてみても、やっぱり(だからこそ)「今」で答えを手にして解決することは難しい。だから、

確かめるなんて 無駄なこと
思いつくままに 気の向くままに
やればいいさ 時に任せ
凡て 時が 解決してくれる

なのかもしれない。

あくまで自分の経験がもとでそれでしかないのだけれど、もし、今、これを読む誰かが明日について深く悩み傷つき行き場のない気持ちを抱えているのならば…。違う世界があることを頭の片隅に置いてほしい。そしてほんのちょっとの角度でいいから、その視線を、残る気力で好奇心の差す方向に向けてみてほしい。
心を、生かしてほしい。

そこにはきっと、すがれる何かがあって、それが盾にも矛にもなるはず。

穏やかな気持ちでなくていい、いつも健やかでなくてもいいから、心を殺さずに自分を生かしてほしいです。それだけで、君を想う人のことを守れるのです。どうか。

まだまだ自分も知らないこと、わからないこと、変わる考え…そういうのが多いけれど。
「どんな選択をしても、惑い、悩み、苦しんで出した答えなら、きっともうそれだけで正解になる」
このことだけは、変えたくないし、誰にも変えさせやしない。

できれば生きて、一緒に時が解決するまで身を任せよう。たゆたおう。
思いつくままに、気の向くままに。

#金延幸子
#時にまかせて
#エッセイ
#9月1日

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