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駆けることで私は何を

ボールを追いかけ、ピッチを駆ける。
足掛け14年、ちょうど人生の半分くらいサッカーしている。
ボールを蹴り始めたのは小学校低学年の頃だけれど、習い事として始めたのは小6になる前の冬だった。そこから高2年の夏までの約5年間、クラブチームや部活動で競技を続けた。
一度、選手の立場を離れて少年団のコーチや個人フットサルで汗を流した期間を経て、FC越後妻有で現役復帰をしてから今に至る。

一人で壁に当ててボールを蹴ることもできるけれど、「サッカー」というルールでプレーするには、11人が必要で、その競技も対戦相手がいないと成立しない。それは一緒に目の前の試合を創り上げてくれる審判や、ピッチを日常的に管理してくれる方々、活動を応援してくれるサポーターの皆さんに対してもそうで、私がサッカーをするには、本当に沢山の人との関わり合いがある。

言わずもがなサッカーにはポジションがあって、大きく分けて、GK・DF・MF・FW、もっと細かく分ければ各ポジションにLやRがつき、システムによって影や翼、錨と名がつく立ち位置もある。
得意不得意、向き不向き、それぞれをそれぞれが補って、活かして、全員で90分を走り抜いて試合を完成させる。ベンチには、途中交代という独特の役割を担う選手もいる。2つのチームが、その先にあるたった一つの勝利という目標に向かって凌ぎを削る。そこには、その目の前の一瞬だけではなく、試合に向かう準備、果ては何年何十年と積み重ねた奮闘があるのだということは想像に容易いだろう。

チームという大きな船のオールを、それに関わる様々な人々と同じ方角を向かって漕ぐことは本当に難しい。人は他人(ひと)をコントロールできないし、物事はいつだって予測ができるわけではない。困難という波があるからこそ、一丸となって得られる達成感はひとしおだ。その過程で、誰かのために頑張りたいと思える心や、自分のために頑張ってくれる周りの存在の尊さを溢れんばかりに感じるのだ。

こういうことを実感するたびに、サッカーというチームスポーツをやっていて良かったと思う。
紛れもなく、サッカーは自分の中に思慮や想像力を育んでくれた。

今日も明日も明後日も、いつ何時も忘れずにいたい。



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