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何かを言ったり発表したりしないといけない気持ちになるのって劣等感ではなく返報性の原理のせいなんじゃないかと思ったりした話

思ったことのメモです。

二次創作界隈にいると他者の怒涛の二次創作に触れて、「自分も何か書かなきゃ、発表しなきゃ」という気持ちに焦ってしまいます。
二次創作でなくても、いろんな情報が流れ込んでくると、自分もなにかいっちょ言わなきゃいけないような錯覚になってしまいます。

で、それって、劣等感とかっていうより返報性の原理でそうなってるんじゃないか? と思った、という話です。

返報性の原理っていうのは人からなにかをもらったら、施されたら、お返しをしないといけない、と感じてしまうやつ。
誰かに親切にしてもらったとか、職場の同期におみやげのお菓子もらったとか、そういうの、ただ受け止め続けて気にせずにいられる人って実はそんなに多くない。(少数派が悪目立ちはするけど)

これが二次創作界隈、広く言えばネットでも起きてるんでは、というのが今日のメモです。

以下、自分にわかりやすいように(自分用メモだから)二次創作界隈の話にぎゅっとしぼってまとめます。

同じカップリングを追っかけてる人たちの創作物って本人がただ発表してるだけでとくに押し付けてるつもりはないんですが、「見た」側は「受け取った」ことになるんですよね。それこそ、職場でちょっとしたお菓子を分けてもらったかのように。
これうまく伝わりますかね、この場合、書き手が感想欲しいとか印刷代回収できる程度の代金はほしいとかっていうのとは全然違って、書き手側の気持ち関係なくて、読み手側に、見ただけで、「もらってしまった」が発生するんですよ。

さながら、自分は何も発表、公開せずに界隈でただ他者の二次創作を見続けてるのって、遠足のおやつの時間につぎつぎに目の前に個包装の菓子が善意で積まれていき、自分はなにも差し出せるお菓子がない、みたいな状況に近い、のでは?

だから焦燥感で文庫メーカーでも落書きでもいいから自分も何かを発表しなきゃ、差し出さなきゃ、という気持ちになってしまうのではないか、一方的に受け取ってしまったものはなんらかのかたちで返すべき、一種の負債だから。
借金を抱えてるようなものだと思うとあの焦燥感にも説明がつく
わたしあの焦燥感ってクラスタへの帰属意識と共同体への貢献意識かと思ってたんですが、収入がないのに貯金がじりじり減ってるあのかんじに、とても、似ている……

完全ROMとわりきってるひとはそのへん自覚してるのか無自覚なのか、積極的に感想を言うor完全に気配を消したROMになる、という二極化になるような気がします。

これ二次創作界隈だけの話ではもちろんなくて、実はただ見ているだけ受け取ってるだけではなくて「抱えさせられてしまっている」と感じてるってこと、けっこうあるんじゃないかって気がします。自覚してなくても。

TwitterのFF外クソリプとかも、元ツイの「自分はこう思った!」というのをROMとしてスルーできず、「こいつの意見、思想を施された、同等のものを返さなきゃいけない」と思っている、みたいな……いや返報性の原理はむしろ施し、善意のものではあるんだけどでもその返しがなんだか攻撃になることもありそうっていうか、コミュニケーションがおさないから本人は対話のつもりでぶん殴ってるみたいな。

完全壁打ちアカウントってのは「俺は餅を撒くから拾いたいやつは拾え、ただし俺は拾わない」ってことなのかもしれないな……とは以前も思ってたけど、また少し違った角度の意味が加わりそう。

今日もまとまってないですがここまで。

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