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ようやく毒から逃げまして⑥~祖母が毒祖母になるまで~

(画像はいらすとや様より、筆者が加工)


①毒祖母の生い立ち

・幼少期に両親を亡くし、唯一の肉親である兄弟も離れ離れに
・とある家に引き取られるが、ほとんど学校には行かず。読み書きが不自由に
・育ての両親とは折り合いが悪く、早く家を出たいと考えるようになる
・成人してすぐに祖父とお見合い結婚、伯父1,2と母を設ける

 以上の経緯から、

・ 家族や親の愛情を受けたことがなく、健全な自己肯定心と自尊心が育たなかった
→愛情不足、愛着関係が築けなかった
・本人いわく洋裁学校に行きたかったが、義理の両親に学校に行かせてもらえなかった
→幼少期の大きな挫折

が読み取れる。

 不安定な愛着と幼少期の挫折から毒祖母は愛着障害、そして自己愛性パーソナリティ障害の傾向が強くなったと私は分析した。より簡単に言うと、幼少時代に子供らしい健全な生活を送れないとその後も精神が未熟なまま成長してしまうということだ。


②結婚、出産後

・家を購入したかったため毒祖母は飲食店や寮で働きづめで、夫や子供(母や伯父ら)に対し基本的に無関心
・小学一年生から学校の書類はすべて母自身に読み書きさせて提出させた
・小学生の頃から母自身に学校に欠席の連絡をさせた
・病院にも付き添ってくれないので母一人で病院に行った
・家庭科の洋裁の宿題で「こんなもの恥ずかしいから持っていくな」と毒祖母が一から作り直したものを母に持たせる
・家事や炊事をすると「そうじゃない」「こうじゃない」とやる気を削ぐ発言ばかりで教えようとする姿勢が皆無、結局毒祖母がやってしまうの繰り返し
・当時中学生だった母を産婦人科に連れて行き、ある書類を書かせる。のちに堕胎の同意書だったことが判明
・男である伯父1、伯父2には基本的に甘くて女である母は被差別を実感する
・学校生活や私生活、進学、進路等で悩んだ時も「アタシは分からないから」と話を聞いてくれない

 書いているだけでも胸が悪くなるような男尊女卑、金銭至上主義、虐待といった各種ハラスメントのオンパレード。こんな人間が身近にいたら人格の一つや二つも歪むはずである。事実私の母はおそらく回避型愛着障害と回避性パーソナリティ障害の傾向が強く、伯父2は不安型愛着障害および自己愛性パーソナリティ障害、それに加えて極度のマザコンを患っていると私は推察している。なお、伯父1はとうの昔に家を出たので甚大な被害はなかっただろうが、「毒祖母とは今後一切関わりたくない」と今日まで表明している。


③伯父、母の成人後

・長期間交際した相手がいたが結婚に至らず、傷心だった母を半ば無理やり結婚相談所に連れていく(のちに私の父とお見合いし結婚)
・交際相手と同棲中の伯父1の家に上がりこみ勝手に掃除や洗濯をする。のちに伯父1と相手の女性は破局(伯父2にもまったく同様の現象が起きる)
・結婚した母の家にも毎日のように来訪し、家事や炊事を勝手に済ませたり、母と父の家なのに家具や生活用品、食器などを勝手に選んで買ってくる
・ご近所さんに「○○さんのお家は毎日お母さんがいらっしゃるのね~(おそらく嫌味)」と言われても何も感じない母

 実子(母や伯父ら)の幼少期にやってやれなかった反動が出たのか、私の母の役割を強奪し始める。それは母と父の離婚後ますますエスカレートしていく。


④母の離婚後

・「お前の性格が悪いから離婚したんだ」「お前がちゃんとしないからだ」と傷心の母を責め立てる
・毎日の家事炊事、学校行事や授業参観への参加機会も毒祖母がほぼ強奪
・その他金銭的なモラハラ、暴言、脅迫まがいの発言(以前の記事参照)

 こう改めて書き出すと、毒祖母は、"分かりやすいこと"かつ"大きな責任が伴わないこと"は調子よくこなしていた。料理や家事は積極的にやったものの学校に関する手続きや進路や進学の相談、学校生活や生活の悩みについてはまったく触れようともしなかったのだ。おそらく読み書きもできず、そのようなことには明るくなかったからであろう。自分の都合が悪くなると、「それはママに言いなさい」と言って逃げては、"分かりやすいこと"だけをやり続けた。このような養育者の交代が頻繁に起きたり、一貫した安全基地を持ってなかった私もまた愛着障害や回避性パーソナリティ、演技性パーソナリティの傾向が強くなったのだと思われる。


 後の家庭内別居中に喧嘩が勃発すると、毒祖母は「ここまで育ててやったのに」や「ずっと面倒見てやったのに」としきりに言ってきた。

それに対して私は、

「アンタに“育ててもらった”覚えはない」

と言い返した。確かに毒祖母に衣食住を保証されたのは事実だが、彼女に"育てられた"覚えはないのだ。辛いときには話を聞いてくれ、病気になった私をおぶって病院に連れて行き、「家に帰ればいつも私と姉がいるから大丈夫だよ」と寄り添ってくれたのは、紛れもなく母だけだからだ。

 子を産んだ以上ご飯を食べさせて清潔な服や部屋を用意するのは"当たり前"だ。ただ人を育てるというのは、その人が辛い思いをしたり壁に当たったりした時に寄り添ってやることではないだろうか。知識や教養などなくても「話を聞いて共感すること」は健全な精神を持った大人ならばできるはずである。そんな親としての使命を、母が幼い頃から長いこと放棄しておいて「ここまで育ててやったのに」なんてどの口が言えるのか。

 私はそんな毒祖母を許さないし、これからも許すつもりは一切ない。ひいては彼女が死に絶えるまで私の怒りは続き、死してもなおその憤りの炎が消えるにはかなりの時間を要すると思われる。

 毒祖母のモラハラ、暴言、過干渉は近年に始まったことではなかった。母や伯父らの幼少期から彼女は何一つ変わっていなかったのだ。特に母は結婚していた時期も含め、半世紀近く毒祖母に囚われその毒素に晒されていたのだった。

 確かに毒祖母は同情を禁じ得ない生い立ちを持っていたが、それが他人を傷つけていい理由には決してならない。ただ自己愛性パーソナリティ障害とは、本人が無自覚であることがほとんどだ。繰り返しになって恐縮だが、少しでも毒祖母と共通する点が見受けられる人物からはできる限り早急に離別するべきであると私は主張する。




 次回は独立後の話です。独立して平穏な暮らしを手に入れられたと思っていたのですが、そう簡単にはいきませんでした。
 今回もお付き合いいただきありがとうございました。


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