努力をコーチするわけではない

2024年6月24日 GBNセミナーで発せられたひとことです。

以下の文章はセミナー講師がこう考えているということではなく、タイトルのことばを聞いたうえでの、わたしの個人的な考えです。

思い切って言ってしまえば「バスケットボールを上達してくことに努力をすることは当たり前なのだから、褒めるに値しない」と個人的には受け取っています。

 では、どのようなことが“褒めるに値する“ことなのでしょうか。

 
たとえば
スリーメンでサイドラインギリギリまで走るコースを取ろうとした。
あるパスを考えた上でバウンズパスにした。
いつもよりも大きな声を出して練習をしていた。

など、すぐにはわかりやすい結果には繋がらないかもしれないけれど、成長につながるような、何かを考えて変化させようとする行為に対して、積極的に褒めることが重要なのではないかと、話を聞いていて思いました。

練習を行うときの“動機“が練習をし続ける為にはとても重要な要素となります。

その動機の種類は以下の2種類の内のどちらかになります。
“内発的動機づけ“と“外発的動機づけ“です。

内発的動機づけの特徴は“達成感・没入感・有能感・自己決定・成長欲求」といった特徴があります。

外発的動機づけが一概に悪いという事ではなく、内発的動機づけと交互に繰り返すことにより、よりよい変化へと向かうことが可能となります。

最初は「楽しい」ということだけで上達する事ができるバスケットボールも、ある一定の技術力からは、何も考えずに練習しても上達しない状況になっていきます。そういった際、「シュートを連続30本入れてくる」や「ドリブルを5000回、利き手ではない方はその倍する」などといった、自分だけでは設定しようとしない課題を他者から言われて行い、そういったことを繰り返すうちに良い変化が起こり、次の“内発的動機づけ“に移行して行くということになっていきます。

 さて、ここでいう“努力“とはいったい何でしょう。努力とは自分で決めたこと(内発的動機づけ)、または他者から言われたこと(外発的動機づけ)をきちんと丁寧に行うことです。バスケットボールを上達しようとするのであれば、その行為は最低限の必要とされる行為です。そういった意味でいう努力は、必要最低限の行為であるため褒めるようなことではない。ということです。

努力を超えたさらに“なんらかの事柄を考えた“うえで行う行為は褒められるに値する行為といえます。

 ここで間違ってはいけないことは、内発的動機づけであっても外発的動機づけであっても、“課された課題はきっちりとクリアする“ということです。

“なんとなくがんばっている(努力している)から満足“してしまうことが一番怖いことです。努力するという行為は必要最低限の行為と捉えることが非常に重要なことであると言えます。

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