ゴルゴ松本さん。
あの人のお話好き。
あと、みやぞんの
報われない努力と報われる努力の話も。
最近、常々思うんだけど、
老いにせよ成熟にせよ、
考えはあまり変わらない。
ただ、考え方は多少多面的にはなる。
僕は割と理屈屋で、屁理屈も言うし、基本は我が儘と自覚してる(つもり)。
んな、僕でもちょっと考え方がかわったのが、
優しい
って言葉の感じかた。
漢字を講釈してるのも、好きで、金八先生の言葉も結構聴いてきてるのだけど、、、。
人の夢だから儚いとか、
そんな淋しい話も嫌いじゃなくて、
そんなんだから、優しいって言葉も
人の憂いが優しいだと考えてて、
だから、涙の数だけ強くなれるだとか、
人は悲しみの分だけ優しくなれるだとか
思ってたんだけど、
いや、たぶん、それもあるんだとは思うんだけど、
ここ何年か前から
優しい?
って何?って痛烈に考えた時期があって、
たぶん、憂いの側に、
憂いの隣にただ、立てる人。
それが優しいんじゃないかと感じてる。
慰めるでもなく、
背中をさするでもなく、
ましてや背中を押すなんてこともなく、
ただ、その側に立つ。
何も言わず
何もせず
それって、実際、存外難しい。
僕はついつい口を出し、
ついつい手をさしのべようとする。
恐らく自己満足が優先されていたのだろうと思う。
今なら、ただ、側に立てたのかなぁと。
今なら、何もしないのと
ただ、側に立ってくれてることの差にも
少しは気付けるかもしれない。
憂いの側に立てる人。
振り返ればありがたかった
優しい人。
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