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文を書くことについて、それから夢

こんばんは

私のnote、結構下書きのまま置いているのが多い。
どちらかというと夜に意味不明な情熱のこもった文を書いて勢いで送り、後々激しく後悔するタイプなので(相手の人には当然スルーされる)、書いたあと一旦保存しておき、時間あけて読み返して公開するか決める。いくらフォロワー数少なかろうと誰かの目には触れる前提、と考えると、これは…と思うことも多い。
あとは、紙の手帳の代わりに書いている面もあるのかも。手帳に思いつくまま書くのも気に入っているけれど、noteも考えをまとめるのに便利。

ちょっと前に見た夢の中の話。
自分の子供が小学校低学年ぐらいの年で、学校へ迎えに行くのだが、行き違いになり出会えず。追いかけると別の人と一緒にいて大丈夫だった。ただ何かが心配と言って涙ぐんでいたので、大丈夫だからといってなでた。
ほんとうの小さいころはどんな接し方だったのだろうか、と思う。小さい子どもの親の人がすごい剣幕で怒っている(叱っている)のをみると、たぶん自分もこうだったはずだけど、時間が開きすぎて全然ピンとこないなと思ってしまう。
次に接する小さい子どもは孫になる訳なんだけど、両親が理由があって叱っているのに、まあまあいいじゃないのとか無責任なことを言ってしまわないか、今から心配をしている。


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