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ぼく、自分のことを悪く言うの嫌いなんだ

この春で小学2年生に進級したわが家の三男。今のところ順調に楽しく登校している。

と言うのも、わが家は長男も次男も学校に馴染みづらく、それぞれに不登校の時期を経験してきているのだが、この生まれながらに自分が愛されていることを本能的に知る三男は息子たちの中で最も社交的であるので、いちばん普通に学校に行けちゃうのではないか?と予想していたのだ。今のところ予想通りであることを、私は迂闊に喜ばないよう努めて知らん顔をしている。

初めてのことにはひとまずキッパリと「やらない」と宣言する。「だって、ぼくできないから」という言葉を聞けば、たいていの大人は心を痛めるはずである。そんな幼少のころからの驚くべき消極性が、学齢期になってどう出るか、ということだけは多少心配していたのだが、当の三男は今のところ消極的なままで、いたって明るく過ごしている。

三男とは、毎晩風呂に入りながらいろいろと話す。大抵は三男が夢中になっているアニメやゲームの話か、学校での出来事について母である私に喋りまくるのを聞いている(聞き流す)。

先日、私が何か些細な家事の一つをし忘れたことに気づいて、
「ああ、母ちゃんバカで・・・○○するの忘れた~」
とやや大げさに落胆すると、三男が一瞬、気の毒そうな瞳で私を見つめながら、
「ぼく、自分のことを悪く言うの、嫌いなんだよね。」
と言った。その瞳は、こぼれ落ちそうなほどのキラキラを湛えていた。

この歳で、そんな言葉を言うかな?
私は驚いた。「自己肯定感」なんて言葉はまだ知らない。先生などの大人から教わったような手垢も付いていない、純粋に発せられた言葉だったから。
どこまでも大人であり、どこまでも子どもであることが一続きのような。

この言葉の背後にあるのは自己肯定感の高さなのかはわからない。ただ、なんて大人なんだろうとドキッとした。
「自分のことを悪く言うのはやめよう。」
とは、自分をさんざんいじめながら生きてきた大人が、やっとそれに気がついて、乖離した自己を取り戻そうとする過程でたどり着く言葉のようであるから。それを、純粋性の境地から言葉にできる・・・・・・というのが驚きである。

毎日三男を風呂に入れなければならないことに、時にめんどくささを感じることもあるのだが、問題はこの甘ったれの三男がいつまで私と風呂に入ってくれるかかもしれない。

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