09/09 noteはご自由に書く場所だと思う


どうも、ひつじです。

noteについてちょこっと触れたいと思います。

ネットで書くところではブログが主流だったように思う。
まあ、SNSもあるけど、ブログが先かな。

ブログは元々人に見せるものではなかった。なぜなら、このnoteのように、自由に書く権利があった。

noteもかつてのブログのように自由に書く場所であると思う。


こうやって色々なことを書けるところは他にもある。
けど、こうやって、誰でも書ける、自由なキャンバスはここしかない。

noteのコメントもそこまで荒れているところを見たことがない。
(僕が見た限り)

書くことを自由に書きたいという気持ちは僕も常に持ちたい。

ということで、効率を重視するあまりに起こる出来事がある。
映画を違法アップロードして、手軽にネタバレ有りの動画を見る。

アップロードも違法だが、これを見たい人がいることに驚いた。

今の若者は倍速視聴もしていることを知った。

最初は僕も倍速視聴しているかもと思った。これは映画や小説はしません。
けど、ノンフィクションならやっているかも。
本でも速読はあるな。でも小説などの物語を速読したいだろうか。

あれは味わうから意味があると思う。食べ物だって早く食べていると何を食べているのかわからない。
あるいは車で走る道を歩いてみると意外な発見があるだろう。
案外人間は見ていないものだということがわかる。

速読も情報を効率良く摂取することが目的なら、速読もできる。

速読にとって味わうことはコスパが悪いのだろうか。あるいは意味がないことは無駄と切り捨てるのだろうか。

僕はSNSやネットの世界は自由に発信するべきだと思っている。
批判はその前提を守っているから出来ることであって
自由に発信してはいけないと思ったら何も出来ないと感じるだろうし、
息苦しさを感じるだろう。
今やネットの世界も現実と変わり映えしなくなった。

杓子定規で物事を図ると実は自由に発信ができなくなり、
さらに考えが固定化する。
そこに無駄を嫌う、コスパが悪いことを嫌う精神が
根深く残るのだろうと思う。

Twitterでも最速で稼ぐには?
フォロワーを増やすには?
などなどなんとも魅力的な文言が並んでいる。

綺麗事ではないけど、あまりそこまで固執する必要もないのかなと。

まずは、思考力を鍛えることが大切。
そのためには何を書けるのか。繋げられるのか。

自分のことを知るためにはまずは他人を観察するのが必要。
自分のことを考える時に自分の範囲で考えると良く言葉が出てこない。
けど、他人を巻き込むとそうでもないハズ!
他人について書くとそこまで頭を痛めることがないでしょうね。

さて、今日の自由に書かせてもらいました。
1000文字超えたのでこれくらいで終わり!

いいなと思った方は、よろしければサポートお願いします。