意味があるかどうか、決めるのは本人。
「それって何のためにやってるの?」
「やる意味ある?」
というような言葉を他人から投げかけられた経験が何度もある。
そして言われると、ちょっぴり悲しくなる。
自分の思考や行動を否定されたような感覚に陥ってしまう。
「私にとっては意味があるのー!!」って、声を大にして叫びたい気持ちになる。
自分の経験から例を2つ挙げたい。
❶ (目的の薄い)資格集め
20代のうちに達成したい目標の一つに「2級以上の資格を10つ取る」がある。
友人から「何のためにわざわざ勉強するの?仕事の給与に影響するの?」と聞かれたときに困った経験がある。
また、(転職活動をする際の)履歴書に、関連性のない資格を羅列するのは良くないと、どこかで耳にしたことがある。
けれど私はそれらの考えに対して、疑問に思う。
なぜなら沢山の意味があると思って取り組んでいるからだ。
たとえば、こんな感じ。
(1) 資格取得という明確なゴールを持つことで勉強する習慣が身につき、人生が豊かになる
(2) 収入に繋がらなくとも興味や知識を広げることで、日常生活や人との会話で生かせる
(3) (仕事などで) 急に試験を受ける必要に迫られたとき、勉強する習慣があるほうが難なく合格できる
「私はこれらのために取り組んでいるのだから、意味がないなんて言わないで。放っておいてくれ。」と心のなかで叫ぶ。
履歴書においても、関心の幅が広いことに共感してくれる仕事・企業に出会えればマイナスでは無いと感じる。
特定のジャンルに集中して物事を極めるのも素晴らしい。けれど、関連がなさそうな2つの経験が思いがけない場面で、良い影響を与えるということも人生では起こり得る。
❷ (我慢を伴う)貯金
ひとり暮らしを始めた頃。貯金のマイルールを作った。以来、一度も破っていない。疲れたときに「今月の残業代は思い切って全部使おうか?」と考えたことはあるが、我慢してきた。
「20代のうちに○百万円貯金する」という目標もあって、毎月ペースを計算している。決して収入が多いわけではないため、容易な目標とは言えない。
どちらかと言うとアウトドアな性格で、外食・旅行も好む。それらを諦めたくはないので、家では食費等を切り詰めている。
いっぽうで、常にぎりぎりで貯金無しで生きている友人・同僚がいる。(人それぞれなので、そういう生き方も否定はしない。)
彼らは、私が欲しいものを買うか(金銭面で)悩んでいる姿をみて「手持ちが足りるなら買ったら良いじゃない。何のために貯めてるの?」と問う。
「旅行用に取っておくの(笑)」等と返答することがある。これは半分嘘で、半分本当だ。
実際は、もっと本気でお金を使いたくなったときのために取ってあるのだ。
(あれれ?文字にしたら何だかふわっとしている。
伝わっているか不安だ...)
けれど、そうして貯め続けたお金を近いうちに、ぱぁぁぁーっと、使おうとしている自分がいる。
他投稿で何度も述べているが、仕事を一旦辞めてキャリアブレイクをするために。
(あくまでも私の場合は)ただ休むのではなく、海外旅行やオンラインスクール等の自己投資をしたい。
実現するための計画を立てられているのは、過去の自分が我慢しながらも貯金したおかげだ。
無計画に欲しいものを買っていたとしたら、仕事を辞めて出来ることに(金銭的な意味で)限界があったに違いない。
このシリーズでこんなに長く語ったのは初めてで、自分でも驚いている。
もしも最後まで読んでくれた人がいたら、全力でお礼を言いたい。
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