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二十歩。

20回目の投稿。
感覚としては「まだ20かぁ、でも着々と前に進んでる!」というところ。
10回目の頃からの気持ちの変化や、気づいたことについて書きたい。


・「書かなきゃ」が「書きたい」に変わりつつある
これが最大のポジティブな変化なんじゃないかな。言い換えるならば、「義務感」が「願望」に変わった、みたいな。

はじめた当初は「文章を書いて公開する」という習慣がなかったため億劫になったり、慣れていないためエネルギーを消費したりすることも多かった。いまでもそういう気持ちはあるけれど、程度が全然ちがう。

最初のころは「○○を書こうかな」→「でも面倒だし、大した内容じゃないし、誰も読んでくれないかも」という風にネガティブ変換していた。
今は「○○を書こうかな」→「○○も書きたい、あと○○も」という風にどんどん前に進みたい気持ち。

はじめての投稿「一歩。」の文末に「スキップするような軽い気持ちで進めたい。」と書いたがようやく少し、この感覚に近づいてきた。
はじめの頃は書いたものの行動に移せていなくて「3歩すすんで2歩さがる」が現実だった。それも今となっては必要過程だったと感じている。


・体裁を少しづつ工夫していきたい

これは「十歩。」の話の続きともいえる。
「いまは体裁にこだわらない」と当時のわたしは熟考したうえ書いた。

けれど少し慣れてきて気持ちが変わった。些細なことであるが「強調方法」だけでも工夫したい。いまこの文章を書いていてもそうだが、太字とカッコの2つで強調をしている。「つもり」になっているだけで、もしかしたら他の人が読むと意味を成していない可能性もある。

この2つの強調方法は短文(めやすとして400字程度)であれば有効かもしれない。なぜなら短文で要素を多く取り入れすぎても、かえってごちゃごちゃしてしまう気がするから。上級者ならそうでないのかもしれないが、わたしの場合だと要素を多く入れることにより、空回りしてしまいそうな予感がする。

けれども長文(めやすとして800字以上)を書くとなると話は変わる。書いている自分自身でさえも「読みづらい」と感じてしまい、読み返すのが億劫になっている。通りすがりの人がたまたま読んでくれたとき、途中で読むのをやめてしまってもおかしくない、と感じる。

強調のためのカッコを多用すると、だんだんその意味合いが薄れる。読みづらさの原因は他にもあって、たとえば改行もそのひとつ。長くなりそうなので詳細を書くのはやめておくが、体裁について勉強していきたい。


・語彙力・表現力を伸ばしていきたい

「量をこなす」ことに注力しているいま、自分の語彙力・表現力の浅さを痛感している。痛感というとネガティブに聞こえるかもしれないが、心地よい痛みである。

「クオリティ」に重点をおいていたときは少しちがった。たとえば書いていて単調な文章だなと感じた際、ネットで「○○ 類語」など検索した。すると「聞いたことはあるが自分では浮かばない」という語彙がたくさん出てきた。こうして調べるのも学びのひとつだ。

けれど調べているうちに、書き続けることへの集中力が落ちてしまったり、どの語彙を選ぶか悩んで時間を多く使いすぎたり、課題も多かった。そうして調べた語彙をつなげて文章をつくるのはパズルみたいで楽しかったけど同時に、「自分の言葉で表現する」ことから離れてしまった。

こうして書いていると、どちらが良い・悪いは一概にいえないと改めて気づかされた。ならばどちらも取り入れればいいのではないか。「量をこなす」は継続しつつ偶に(たとえば5回に1回ぐらい)「クオリティ」に重点を置いてひとつひとつにこだわった文章をつくろう。


自分がはじめに思い描いたよりも何倍も長くなった「二十歩。」
少し早歩きになったのは成長の証。楽観的に捉えたい。歩くペースは調整し、ときに寄り道しながら、前へ前へ。
きっとそう遠くない「三十歩。」まで、歩んでいこう。


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