見出し画像

池田晶子さんに、”考えろ”と教えてもらった。『14歳からの哲学~考えるための教科書』

池田晶子さんの『14歳からの哲学~考えるための教科書~』(2003年3月20日/トランスビュー刊)

池田さんは、“考える”ことが哲学なんだと言っている。
“哲学”は、そんな特別な学問じゃないから一緒に考えてみよう、というのが本書。

14歳は中学生。とてもいいなと思う。
池田さんと一緒に考えるティーンエージャーがうらやましい、とも思うが、残念ながら2007年2月23日に亡くなっている。

本書の中からいくつか書き留めてみた。

― 美しいという感じと、美しいという意味とは、どっちが先にあるものだろう。
  美しいという言葉は、美しいという感じにつけられた名前なんだろうか?
  名前と事柄とは、どっちが先なんだろうか。
 
「正しい」とは、誰にとっても正しいことが、「正しい」ということの本当の意味だ。
  人はみんな「正しいこと」「正しさそのもの」を知っている。

  言葉というものは、自分の中にあると同時に、自分の外にもある。
  
  *人は、自分の中の「正しさ」が「正しい」のだと思い込んでしまうことがある。


― 生きる苦しみや死ぬ怖れに出合って、人はそのことの意味や理由を求める。
  そうしなければ、その苦しみを納得できないと思うからだ。

  でも、納得できないということなら、宇宙が存在する、“なぜ”存在するかわからない宇宙“なぜか”存在するということ以上に、納得できないことなんかあるだろうか。

  宇宙が存在するということは、とんでもないこと、ものすごいこと、まったく理解も納得もできないことではないだろうか。

  これは、奇跡だ。存在するということは、存在が存在するということに意味も理由もない。だから、それは奇跡。

  そして、自分が、自分の人生が、なぜだかわからないが存在して、実際に生きている。
  苦しみだって、それだから存在する。

池田さんは、こうして14歳という奇跡の存在と哲学を考えていた。
彼らが池田さん、池田さんの本に出合えたことも奇跡だと言える。


池田さんは、「死期」について、時間は過去から未来へ流れるものではない。

ただ、「今」があるだけなんだ。だって、過去を嘆いたり未来を憂えたりしているのは、
今の自分以外の何ものでもない。
だから君は、他人のことは気にしないで、まっすぐに自分の人生を生きてゆけばいい。

そう、14歳の奇跡の存在とぼくに教えてくれた。

考えるということは、今を生きているぼくに与えられた奇跡なんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?