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安心するための技術

安心や不安は、状況がもたらすものにあらず。

状況に振り回される人は、改善された状況にも振り回される。1000万円の貯蓄があって不安な人は、2000万円あっても不安。仕事が無くて不安な人は、仕事に就いても不安。恋人がなくて不安な人は、交際相手が見つかっても不安。

安心は状況ではなく、技術の問題。

コップ半分の水を「半分しかない」と捉えるか、「半分もある」と捉えるか。言い換えれば、不足側を見るか充足側を見るか。「半分もある」、つまり充足側を見る楽観論が、一般的には良いとされている。たしかに、常に不足側を見てしまう悲観的な人生は、常に不安に苛まれた不幸な人生だ。

しかし、いつでも充足側を見ていればよいかと言えば、そうではないと思う。

夢や目標、努力といったポジティブな言葉の背後には不足がある。夢のかなった未来を充足とするならば、現在は不足だ。また、努力は現在の不足を補うためにするものだ。常に充足側を見ていると、夢を描いたり、目標に向かって努力することのない、無気力な人生を送ることになるかもしれない。これはこれで別の不安の種になる。

「半分しかない」「半分もある」

二つの見方を、状況に応じて切り替えることが大切だと思う。ピンチのときには「半分もある」と自分を安心させ、平時には「半分しかない」と自分を奮い立たせるのが健全か。もうはまだなり、まだはもうなり。

不安が多い人は、この逆を行っていることが多い。ピンチのときに「半分しかない」と慌て、平時に「半分もある」と慢心している。技術が足りていないのだ。

どうやったら技術を向上させることができるか。

身も蓋もない答えだが、悩むしかないのだと思う。
安心する技術を向上させるよう、その都度もたらされる課題が悩み。いつでも、少し頑張れば乗り込えられる、丁度よい悩みが用意されている。

人生の達人たちはこれをギフトと呼んでいる。





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