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愛とか恋とか

PJ氏主催の異分野コラボ企画「才の祭」のスタッフとしてサポートをさせていただくことになった。
小説公募→歌詞の公募→クリスマスの週にみんなのクリスマスソングが完成する予定。11/14~23がいよいよ小説バトルだ。

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テーマは真正面から「2人の愛」。
ということで、愛について少し書いてみる。


愛や恋の定義、または愛と恋の違いというのがしばしば話題に上がる。

名言から拾ってみると、

愛はお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。(サンテグジュペリ)

愛とは相手に変わることを要求せず、相手をありのままに受け入れることだ(ディエゴ・ファブリ)

愛とは信頼。人を愛するときは完全に信じること(マリリン・モンロー)

事情が変われば己も変わるような愛、相手が心を移せば己も心を移そうとする愛、そんな愛は愛ではない(シェイクスピア)

人を愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に全身を委ねることである(エーリッヒ・フロム)

恋とは自分本位なもの、愛とは相手本位なもの(美輪明宏)

他にもたくさんある。
みなさんもみなさんなりの恋や愛の定義をお持ちかもしれない。
普遍的なトピックということだ。


恋と愛の違いについて、私なりの暫定解釈を披露すると、

相手の欠点・短所が見えてないのが恋、それに目をつぶれるのが愛

相手の美点に惹かれる点では同じだが、欠点への向き合いかたが違う。

いわゆる(主に)異性間の恋は盲目だ。相手の欠点が目に入らない状態。
対して愛は、しっかり見えている相手の欠点にあえて目をつぶることが出来る状態だ。

欠点が目に入らない恋は病の一種で、欠点に目をつぶる愛は意志・勇気の一種である。

盲目から恋に落ちた二人は、やがてお互いの欠点が目に入り始め、ついには恋の病から覚める。その後は、破局へ向かう、または愛へ転化するかのどちらかである。どちらへ転ぶかは意思・勇気次第。

いわゆる(主に)異性間以外では、あまり恋という言葉は使われない。家族愛はあっても家族恋はない。ジャイアンツ愛はあってもジャイアンツ恋はない。配偶者や子供や両親やジャイアンツの欠点・短所は見えたとしても、好きで尽くしてしまうという感情なのでしっくりくる。
ただ、溺愛するあまり自分の子供の悪さ加減が見えていないタイプの親は、愛というよりも恋の感情に近いのかな、と思う。

あくまで私の暫定定義。色々な解釈があると思う。

異論は「才の祭」小説バトルにぶつけていただきたい。受けて立つ。

・締切り 11/14〜11/23
・テーマ「2人の愛の物語」(男女・親子・飼い主とペット、など) 
・2次使用(歌詞)前提。過去作も可
・ハッシュタグ「 #才の祭

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