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恋愛と読書

大学時代、同じ学部の同級生と同棲していた。30年も昔のインターネットもない時代、ワンルームの狭い部屋では、同じ音楽を聴き、同じテレビ・ビデオを見て過ごすしかなかった。

本も、彼女が読むものを私も読みたかったし、私が読んだものを彼女にも読んで欲しいと思っていた。私が夏目漱石好き、彼女が太宰治好きとして、「こころ」を彼女に読ませ、「人間失格」を私が読むという感じだ。

彼女と私、二人の世界観の重なりを広げていく活動が恋愛だと思っていた。

最初は、50:50でお互いの世界に干渉する関係だったが、交際が進むと、いわゆる「そめる、そめられる」の関係に変わっていく。彼女が私に与える影響よりも、私が彼女に与える影響の割合が大きくなっていった。私が買ってきた「それから」は彼女も読むが、彼女が買ってきた「斜陽」を私は読まなくなり、そのうちに彼女は次の太宰を買わなくなった。

そうなると、彼女の世界は、私の世界に内包される感じになる。もちろんお互いの友人等を通じて別々の刺激は受けているのだが、SNSもない時代、同居人からの影響が圧倒的に優勢だった。狭い空間で、長い、長い時間をともにした。

二人の世界の重なりが大きくなる一方、二人の世界の総和はどんどん狭くなっていくことに、二人とも気づいていた。公約数が大きくなるにつれて、公倍数は小さくなっていくということだ。もっと広い場所に行かないと。同棲は解消された。

同棲解消半年後に、今の妻と付き合い始めた。交際の初期に、「ベッドで別々の本を読んでいても気にならない関係がいい」という話をした。二人の世界の重なりを大きくするより、二人の世界の総和が大きくなる関係を追求しようとしたのだ。私は太宰を読まない、妻は夏目を読まない関係。

今は、お互いの電子書籍端末で読書するので、相手が何を読んでいるのかさえ知らない。一部、紙で買う共有の本が、二人の重なりを作っている。夏目でも太宰でもなく、西加奈子や村田沙耶香などの気負わずに読めるもの。二人の解釈が相当に違って面白い。

妻は、ユヴァル・ノア・ハラリ風に「コンビニ人間」を読み解いたりする。


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