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高校生という「半分大人」な難しい時期を過ごす諸君へ(2)

※学級通信「めばえ」第010号(2015年4月21日発行)より

何ができるかで自分を語ろう

苦しみも哀しみも、物事のたった一面にしか過ぎない。
ましてや君はまだ若いんだ。現実はつらいばかりじゃない。
君さえその気になれば、可能性なんて無限にあるんだ。
考え方ひとつで世界は変わるよ。
君の常識があっという間に崩れたようにね。

—— by 龍さん(香月日輪 『妖怪アパートの幽雅な日常』より)

 「○○がない」、「×× ができない」とかっていう、「~ない」シリーズのコトバたちは使えば使うほどに、ネガティブな思考に陥りがちになる。
 今あるもの、今できることを組合せさえすれば、もしくは洗練していけば、「~ない」を補うのに十分なことって多々ある。ただし、それができるのは、「~がないから○○できない」とかって考えないで、「~をするためになんとかしたい」って強く願う(=その気になる)から、できること。そう思わなければ、そう考えられなければ、無いことに対する哀しみや不満がたまるだけで終わってしまう。

 ちょっと話は変わるけど……、●●高校で部活に励む人々の多くは、高校に入ってから新しいものに挑戦している人々が多い。だから、今までやってきた人と比べれば、できないことは多い。

 それでも、今まで自分がやってきたことが生きるところってあると思うんだな。斉藤もバスケ歴は1.5 年程だけど、ずいぶんとサッカー歴の5年程分が活かされている気がしている。もちろん違うところだってあるけどさ…。
 自分のできることを活かす。何ができるかで自分を語ろうぜ。何ができないかじゃなくて。

◆◇◆◇

 担任を持っていたとき、入学式の日から二言目ぐらいに常に口にしていたのが「進路」のこと。義務教育段階を経て高校に進学した高校生ら。現代の日本では自分の意思によってというよりも社会の風向きとして「高校ぐらいは卒業しておこう」「大学ぐらいは卒業しておこう」というようなことも多く、それについての賛否はいろいろある。
 始まり(入学)の理由はどうあれ、義務教育段階を終えて次のステージへ上がってきた生徒らに、3年という限られた期間(すでに15年ほどの人生を経てきているわけで、そのたった2割の期間)で、惰性ではなくて、現時点としての何らかの意思ある選択を卒業に向けてできるようになってほしいと願っていました。そんなことで、「進路」というのが一つの学級経営上の一大テーマだったわけです。

 そんなこともあって、1年半で272(187+85)号発行した学級通信の多くは進路に何らかのかたちでつながるお話となっていたような気がしています。この回も、進路探求の中で斉藤が大切にして欲しいと思っている「自己理解」の部分につながる話です。

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