第20回 分散投資の愚

今回は、ちょっと話が逸れます。
前回、『卵は一つのカゴに盛るな』という格言を引用して、分散投資について触れました。
世間では、当たり前に、良いことのように触れ回っています。
そこで、このことを更に深堀して、分散投資の愚かさを理解してもらおうと思います。

実は、日本史の中でも、良く分散投資が行われています。
「天下分け目」と言われれば、「関ケ原」と即答できる人も多いのではないかと思います。
その「天下分け目の関ヶ原の戦い」では、多くの武将たちが分散投資をしました。

その最も有名どころは、真田家です。
NHKの大河ドラマの「真田丸」で有名な真田昌幸、信幸、信繁親子のことです。
彼らは、上杉征伐に従軍する形で、徳川家康の麾下にいました。
ところが、石田三成挙兵の報を小山評定で聞き、徳川家康の養女を妻としていた真田信幸はそのまま麾下に残り、真田昌幸、信繁親子は、三成に味方するべく麾下から離れました。
家康麾下に留まるか、それとも離れるかを親子で討論する場は、ドラマとしては見せ場です。
が、現実はもっと打算的な成り行きなのです。
そもそも討論などと言うものも、無かったかもしれません。

実は、鎌倉時代以降、武士たちの間では、生き残ること、家名を残すことが最優先事項とされていました。
「御恩と奉公」、「一所懸命」という慣用句を習いましたが、当時の武士たちにとって荘園領主としての立場である地頭という仕事は、非常に大事なものでした。
この意識は、室町時代になっても変わらず、いかに所領を維持し続けるかということが、彼らの最優先事項となっていた訳です。
ですから、大勢力に挟まれた小豪族にとってはどちらに味方するかは死活問題でした。
勝者側に付ければ加増されて勢力を拡大させることができるのですが、敗者側に付いてしまえば所領を没収されます。
所領を失うことは、命を失うことと同じで、滅亡に直結するからです。
そこで彼らは、親子、兄弟で所属する勢力を異にして、どちらが勝っても滅亡しないようしようと考えたのです。
勝者側に付いた者が加増してもらう代わりに、敗者側に付いた一族の助命を願ったのです。
こうすれば、どちらが勝っても、滅亡することはありません。
ただ、これは滅亡しない為の窮余の一策でした。
所領を増やし、勢力を拡大することができないのですから、合戦の度に右往左往する立場からは抜け出せなかったからです。

そしてこの考えは、関ヶ原の戦いの時も、小勢力の大名たちにとっては同じでした。
関ヶ原の戦いは、徳川方である東軍が鮮やかな勝利を得るのですが、それはあくまで結果論です。
もし、小早川秀秋の裏切りが無ければ・・・・。
もし、吉川広家が空弁当をしていなかったら・・・・。
もし、島津軍が最初から奮戦していれば・・・・。
もし、豊臣秀頼が出陣していれば・・・・。
このように考えれば、東軍が負けることも十二分に予想できたのです。
そこで、どちらが勝つか明確に予想できなかった真田家は、親子兄弟で所属勢力を分けた訳です。

そして、このように考えた家は、他にもありました。
まずは、伊勢の海賊大名九鬼家。
子の九鬼守隆が東軍に、親の嘉隆は西軍に付きました。
これは、真田昌幸と同じように、九鬼家が生き残るための策略でした。
ただ一つ違っていたのは、戦後、守隆が加増と引き換えに父の助命を嘆願して了承されるのですが、嘉隆はその連絡が到着する前に自害してしまったことです。

次に陸奥の津軽家。
父の津軽為信は東軍に付き、子の信建は西軍に付きました。
父為信は、三男信枚と一緒に兵を率いて東軍に従いました。
子信建は、豊臣秀頼に小姓として仕え、西軍崩壊後は、石田三成の次男重成を津軽に連れ帰り匿いました。
それでも、為信の活躍から、本領は安堵されました。

九州佐賀の鍋島家は、父の鍋島直茂は東軍に付き、子の勝茂は西軍に付きました。
勝茂は鳥居元忠が守る伏見城攻めに参加しましたが、父直茂の急使を受けて九州に戻り、関ヶ原の合戦後は石田方の立花家を攻める等の動きをして、何とか徐封を免れました。

四国阿波の蜂須賀家は、子の蜂須賀至鎮は東軍に付き、親の家政は成り行きで西軍に付きました。
戦後、家政は出家して家督を至鎮に譲ったことで、蜂須賀家は所領を安堵されました。

また、常陸の佐竹家では、父の佐竹義重が東軍に、子の義宣は西軍に付きました。
子の義宣は三成への義理で不戦に徹したため、父義重の働きかけを無視したことで、減封されましたが、生き残ることは出来ました。

このように、どちらが勝つか分からないときは、加増を期待して一方の勢力に肩入れするのではなく、両方に属することで生き残りを図った訳です。
つまり、これを投資的視点で考えれば、騰がるか下がるか分からないから、売りと買い両方に分散して仕込むのと同じ訳です。
また、銘柄を絞らず、広く分散して投資することとも同じです。

ただ、一つ違っているのは、当時の大名たちは中立であることは許されませんでした。
つまり、投資をせず、見てるだけを決め込むことが出来なかった訳です。
しかし我々は違います。
分からなければ、見てるだけと投資を見送ることができる訳です。
見送れるのに、分散投資をするのは、単に投資に本気になっていないだけです。
投資をするなら、分散投資に逃げるのではなく、一所懸命に勉強して、集中投資を実行するべきでしょう。

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