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第114回 投資法三十六策

具体的な投資の手法については、もう少し後から書こうと思っていました。
なぜなら、投資と言うものを理解せずに手法だけを学んだら、正確に使いこなすことができないからです。
それは赤ん坊に刃物を持たすようなものであり、一時は良くても、最終的には大怪我を負ってしまうことにしかならないからです。
でも、物事を教えるには、投資と同じように「タイミング」が重大な要素の一つになります。
ですので、ちょっと早いですが、手法の一つを伝授しようと思います。

地震と同じように、先日の大暴落時に使える投資法があります。
それを知って、使いこなせるようになって貰えればと思います。

そこで、先に知っておいて頂きたいのは、「兵法三十六計逃げるに如かず」という言葉です。
作戦は色々あるが、勝てないときは逃げて戦力の保全を図り、後に再起を図るのが最上の策だという意味に言われています。
また、このことから転じて現代では、面倒な事からは手を引いて逃げるのが一番良いと意味にも使われています。

が、これは正しい訳ではありません。
本当の意味は、「兵法三十六計、つまり兵法は色々な種類があるが、その全ては負けないようにするためのものです。負けない為に一番良いのは、戦わずに逃げること。」ということです。
つまり、兵法は勝つ方法ではなく、勝てない時の逃げ方の方法だと理解して貰う方が良い訳です。

さて、そこで「兵法三十六計」ですが、これは日本的な書き方です。
実際は「兵法三十六策」です。
ですからここでは、「計」ではなく、「策」で書きたいと思います。

そこでまず、皆さんは、「兵法三十六計」という言葉を知っていても、その内容、つまり「三十六計」、36個の戦術がどのようなものかご存じないでしょう。
ですから、ここで2つほど紹介させて頂きます。

瞞天過海(天を瞞あざむきて海を過わたる)


中国の三国時代。
呉の名将として有名な太史慈は、孫権に使える前は孔融に仕えていた。
丁度その頃、孔融が守る城が、黄巾党の軍に囲まれてしまった。
そこで太史慈が、援軍を呼びに行くことになった。
しかしながら、黄巾軍の包囲は厚く、簡単に突破できそうになかった。
そこで、太史慈は一計を思いついた。
それは、自ら弓を持ち、的を持った数騎の兵とともに城外に出て矢を射る稽古を始めることだった。
そして、弓の稽古が終わるとすぐ城内に戻るようにした。
最初は何事かと警戒した黄巾軍だが、毎日太史慈が同じことをするので、少しずつ警戒心が薄れていった。
そこで太史慈は、敵の警戒心が薄れ切ったところで、黄巾軍の虚を突いて、包囲を突破して援軍を呼びに行ったのだった。

これは、人の緊張感が続かないことを利用した計略です。
慣れることにより緊張が薄くなるのは、疲れを軽減するために人が持っている特性の一つです。
初バイトは緊張しますが、慣れれば緊張しなくなります。
また、初バイト終わりは疲れてぐったりとしますが、慣れれば酷く疲れるようなことはありません。
このように過度に疲れないようにする為に、人に備わっている特性なのです。

囲魏救趙(魏を囲んで趙を救う)


中国の戦国時代のこと。
当時、中華最強を誇っていた魏の将軍龐涓が趙の首都である邯鄲を攻め、包囲した。
趙は反撃すら叶わないところまで追い詰められたので、同盟国である斉に助けを求めた。
この依頼を受けて斉では、将軍田忌に軍師として孫臏付けて、救援に向かわせた。
ところが、孫臏は邯鄲に急行しようとする田忌を途中で留めて諫めた。
「絡まった糸を解くときには無理に引っ張らないほうが良いのです。闘いから救おうとするなら直接加わってはいけない。要所を突き、虚を突いて、形勢を崩してやれば、糸はおのずから解けていくものです。」
そう言って、孫臏は、趙の首都邯鄲に急行するのではなく、魏の首都大梁に急行することを勧めた。
田忌は孫臏の献策を受け入れて、途中で進路を変更し大梁に向かうことにした。

この進路変更の知らせを聞いた龐涓は大いに焦った。
斉軍は、邯鄲に来るものばかりだと思い込み、迎え撃つ手筈を整えていたからである。
ところが斉軍は大梁に急行している。
大梁が落ちてしまえば魏が滅亡するのであり、魏が滅亡してしまえば例え邯鄲を落として趙を滅亡させても、自分の功績は無駄になる。
そこで龐涓は、急いで邯鄲の包囲を解いて、斉軍の後を追った。
魏軍が追って来ることを予想していた斉軍は、準備万端で魏軍を迎え撃って大勝し、見事に趙を救ったのである。

龐涓にとって、趙の滅亡という戦功は何物にも代えがたいものです。
ですから、十二分に用意をしているはずであり、斉からの援軍も計算に入れられているはずです。
そんなところに救援に行っても、そう簡単に目的を達成できるとは思えません。
そこで孫臏は、龐涓の綿密な計画を崩すために、敢えて大梁を攻めるふりをしたのです。
龐涓にとって斉が大梁を攻めるのは想定外でしょう。
想定外と言うのは、計画外ということでもあり、準備が出来ていないということになります。
準備が出来ている状況で、準備が出来ていない敵と戦うことは、必勝と言われます。
このため魏軍は、斉軍の前に大敗を喫してしまい、龐涓は戦死したと伝わっています。

つまりこれが、「孫子」で言うところの「敵に致して敵に致されず」です。

このように、「兵法三十六計」は、敵の虚を突くことの有用性を説いています。
「孫子」で言うところの「兵とは詭計なり」と同義です。
これを投資法として応用するのが、「投資法三十六策」となります。

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