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ボルネオの記憶

人生において、ささやかなんだけど、なんだか忘れられない、そして確実に自分の何かを変えた瞬間というのがある。


ボルネオでのカヤック体験。旅行中のよくあるアクティビティ。主催している日本人ガイドのお兄さんが、現地の水上集落にある一軒と契約していて、そこから出発する。割り当てられた一艘に乗り込む。集合したときのTシャツ・短パンのままだ。ベストなど救命の類の装備は何もなく、ちょっと面食らったが、まあここまで来たらなるようになれだ。簡単なインストラクションを受けてすぐに出発。マングローブ林に挟まれた川をどんどん進んでいく。あっという間に集落は遠ざかり、やがて見えなくなる。ガイドに遅れまいと必死で漕ぐうちに、要領がつかめて少し余裕が生まれてきた。


ふと手を止めてみる。

視界には暮れかかった青空の名残。密度の濃い熱帯雨林の樹木。そして茶と緑が混ざったような深い色を静かにたたえる川。それだけ。圧倒的な静けさの中で、たまに小鳥の鳴き声が聞こえる。そこにぽつんと落ち葉のように浮かぶ自分。あぁ、オレはいま自然の一部になっている。そう思った。


北海道の農家で育ち、いまでもキャンプや登山など緑に囲まれて過ごすことは多い。けれどこのときほど「完璧な自然」と一体化した気分を感じたことはない。その中にいる自分は、あらゆるものから完璧に自由だった。転覆したら死とも隣り合わせというちょっとした緊張感、「命の軽さ」もすがすがしかった。なんだか胸の奥から静かに沸き起こる高揚みたいなものがあった。


日常での悩み、その大半は人間関係だったりするけれど、そんなときぼくはこの瞬間を思い出す。大自然の中で一枚の枯れ葉のように川に浮かぶ自分のことを思い浮かべる。大きな自然の営みから見たら、自分の人生なんて枯れ葉がゆらゆら揺れる程度のこと。何があったって大したことじゃない。そうすればすっと心が軽くなる。


心のどこかで、北極星のように控えめに、でも探せばいつもそこにいて静かに光っている。そんな大切な記憶だ。

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