かぶちゃ

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ありのまま好かれるって難しい

ありのままの自分でいたいけど、 ありのままの自分を受け入れられる気がしなくて、 何より自分が悪いところもわかってるからさ。 ありのままの素を出すのが怖いんやけど でも一緒にいたい人ならありのままの自分を好きになってもらえないと、きっとその後もしんどいからやっぱり素を出すように心がけるんやけど、 好かれなかった時怖くて。 大好きな人に好かれなかった時、 それでもあんたは素敵な人だよって自分にちゃんと言えるように、素敵さを見つけていきたいな。 悪いところわかってるのも素敵や

    • 八方塞がり

      よく言われると思う。 自分自身でも、ここ数年の出来事から強く実感したことで、だからこそ一人暮らしを始めて実行してた。 確かに実行できていた。 悩みももちろんありつつも、色んな人を頼って自分なりに解決して。 良い人に恵まれたなってハッピーに過ごしていた。 そんな中家族の現状が耳に入って、 まさに寝耳に水だった。 自分がハッピーに楽しく過ごしていて、とっても幸せだ、今自分を幸せにできてる、これでいいんだって思えていた裏で、 家族は思い悩んで、いなくなりたいとまで考えていた

      • おまじない

        痛いの痛いのとんでいけ 開けゴマ ちちんぷいぷい 自分はきっと大丈夫 好きな人が振り向いてくれますように 苦手なあの人が転びますように 全てがうまくいきますように もっと素敵になりますように 大切な人が長生きしますように ずっと一緒にいられますように 相手を好きに、自分を好きになれますように 自分だけでも自分の味方でいられますように。

        • 生きてまた会いたいからお願いだから生きて

          災害。事故。いじめ。浮気。モラハラ。パワハラ。 いのちを、心を破壊しかねないことってたくさんある。 自分にも、周りの大切な人にも、すれ違う人にも、大好きなアーティストにも。 心が壊れても離れられなかった彼氏と別れ、 就職して一人暮らしをはじめて、 幸運にも職場の人間関係には恵まれ、 でも環境が決していいわけではなくて。 心が壊れかけてボロボロ泣いて それでも周りの人の温かさを存分に受けて 今は楽しく過ごすことができている。 楽しく過ごしていた。 同じ頃兄はパワハラを受

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          脱ネタンデルタール人

          好きな人ができた。 今までも彼氏はいたけど、 『あ、この人だ』と思ったのは人生初。 中々人を好きになりきれない自分の人生で、 まさかそう思える人に出会えるなんて、という気持ち。 幻滅されるのが怖くて、人を頼れない私がこの人になら言えてしまう。 その人のことなら手放しで信用できる。 まさにそんな人。 人間として惚れているとはこういうことなんだろうなぁ。 自分に自信があるようで、自分に自信がない私だからこそ、自分より遥かに素敵な人と自分をつい比べてしまう。 あの人の方が素敵だ

          脱ネタンデルタール人

          お母さんのような人間になりたい

          私はお母さんが大好きだ。 マザコン?と言う声が聞こえてくる気がするが、 ご名答。マザコンだ。 でも、“お母さん”だから好きなんじゃなくて、 お母さんという”人間”が好きなんだ。 その人に育てられたからじゃないの?という声も聞こえてくる気がするが、まあ一理あるかもしれない。でも、お父さんのことはお母さんの足元にも及ばないぐらいしか好きじゃないから、たぶん違うと思う。笑 きっとこんな風に大好きな人間がお母さんで、育てられた自分は本当に幸せなんだろうなと思う。いつもありがとう

          お母さんのような人間になりたい

          他の人の悩みなんて分からなくて当然。

          私は、 “自分が共感できない事、想像できない人の悩みに対して「なんでそんなことで悩むのか分からない」と面と向かって言ってしまう人” がすごく苦手。 なぜなら、そう伝えてしまうことによって、他意はなくとも相手を突き放してるように感じるから。 大前提として、100%同じ考えを持っている人はいないし、もちろん100%他の人のことを理解できる人はいない。 だからこそ話をする。相手が何を思い、何を考え、どう感じているか。 相手の思考、感情、その動き方を少しずつ掬い取っていく。そ

          他の人の悩みなんて分からなくて当然。

          分かってもらえる幸せさ。

          自分は小さな頃から何事も小難しく考えてきた。 自分では考えているつもりはないが、 周りに話すと十中八九「考えすぎ」と言われてきた。 そのため、だんだんだんだん誰にも話さなくなっていって、 次第に何かを言われてもいいような、 「本当に思っていることだけど、自分の中でどこかどうでもいいこと」 しか言えなくなっていったように思う。 そして自分は ”考えすぎ” で ”気にしい” なんだと信じて疑わなくなっていったし、今もそう思っている。 それと同時に「誰にもわかってもらえない

          分かってもらえる幸せさ。