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流水

クラムボンは、かぷかぷわらったよ。

小学6年生の国語の授業のこと。
宮沢賢治著「やまなし」の内容だった。
これが私にとっての革命で、分岐点となったことは間違いない。

当時の担任の先生はそれは怖かった。
毎日大きな声で誰かを叱っていて(もちろん私も例に漏れず)、みんなの前だろうがお構いなしに教卓前まで呼ばれて公開処刑、その時の顔はさながら般若のようだった。いや、般若だったらまだ可愛いものかもしれない。
廊下を歩く音でクラスメイトは察し、クラスの扉が開かれる数秒前に全員着席し静かになる。
笑う時は大きく口を開けてガハハと笑い、褒める時は頭を撫で回し、有無を言わさぬ迫力があったような先生だった。
(今思えば本当にいい先生だな。親御さんからの支持も厚かったらしい。ただ当時はとても怖く感じていた)

さて、冒頭の超有名フレーズ。
それまでは国語の授業はまあテスト簡単だし好きかなくらいのものだった。
漢字を覚えたり、助動詞を覚えたり、そういう内容が主だった気がする。
担任の「やまなし」の授業から、国語の授業への概念が一変した。
問いに対して答えのない問題がたくさん生まれたのだ。
クラムボンはなぜわらったのだろうか。
クラムボン、やまなし、かに、自分だったらどうするのか。
そこに正解はない。十人十色の感性が、それぞれ等しく正しいのだ。
その瞬間物語への、ひいては言葉への興味がぐっと沸いたのを覚えている。作者は何を意図して言葉を紡いだのか。

先生って良くも悪くも人に影響を与える人だと思う。
子どもの頃の、あまりにも柔らかく繊細な心に毛布をかけることもできるし針を刺すこともできる。できてしまう職業だ。そして私には到底できないことだ。
今の私の基礎となる部分を築かせてくれたのは間違いなくこの当時の担任だろう。
日々の一授業、何気ない会話、言葉尻、問いかけ、表情、この年齢になっても案外覚えているものだ。

言葉を扱うとき、文章を組み立てるとき、ふと初心にかえるときは当時のやまなしの授業を思い出す。
すべての言葉には意味があるし、意味のある行間を読み解く力は天性のものではない。
先生、私は先生のおかげで言葉を大事にするこころが芽生えました。


【今回のテーマ:先生のこと】
【書いた人:よしお】

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