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【エッセイ】「推し」って言えない

応援しているアイドルのことを「推し」と呼ぶ文化がある。

人が使う分には全く気にならないが、自分では使う気にならない過渡期の言葉がある。
「性癖」がそのひとつである話を前に書いたが、同じようなポジションにいるのが「推し」である。

使う気にならない大きな理由として、「推し」という言葉には人に薦める、推薦する意味合いが含まれるからだ。
私は"自分が"好きであればいいと思っているので、人に薦めたい気持ちはさほどない。だから「好き」だし、「萌え」ならしっくりくるけれど、「推し」は違う。

ただ調べると、この言葉はアイドルや俳優に使われているのが元々だったようで合点がいった。
私はオタクだが、三次元は門外漢である。映画やドラマも見るが、作品全体を楽しみたいタイプで、出演者が誰であるかは基本的に気にしない。

三次元の場合は、二次元よりも個人にスポットライトの当たる文化だとも思う。特定のアイドルや俳優を応援するファンの数は、基本的に増えれば増えるほど望ましいのだろう。
そうなると自分が好きなだけでは「推し」がのしあがっていけない。他人にも知ってもらって、ファンになってもらわねばならない。
そう考えると推しという表現がしっくり来る。

二次元の場合は、どちらかと言えば作品の知名度が上がることが大事だ。キャラのファンは、引いては作品のファンであることがほとんどである。その作品にお金を出して楽しむ人が増えれば増えるほど作者に還元されていく。私の場合、推すのならキャラではなく作品なのだろう。

最後に改めて書いておくと人が使うのをやめろという気は毛頭ない。誰かが好きなものを「推し」と呼ぶのなら、その人にとってその感情を表現するのに最も当てはまるのが「推し」なのだろう。
私にとっては違っていた、ただそれだけの話である。


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