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善意は我が為に

電車で席を譲った。ただそれだけのことで嬉しくなるものだ。
席を譲る=お年寄り、と昔はイメージしていたが、今回譲ったのは小さな子連れの親だった。子供が「座りたい〜」と駄々をこねているだけなら譲らなかったが、親が大変そうで気になった。寝る子を抱えて大荷物だった。親目線を考えるようになり、大人になったと思うものである。私は親でも既婚者でもないが、周りが親になっていくと視点が変わっていく。

で、席を譲るとよくわかるのだが、めちゃめちゃ気分がハッピーになる。
「情けは人の為ならず」は私が好きな諺の一つである。人にしたことは巡り巡って自分の利となる。利とは即物的な事象に限らず、心の動きにも当てはまる。人のために動いて喜んでもらえるときにしか味わえない喜びを感じられるものである。

今回私は大したことをしていない。それでもこんなに良かったなぁ、と嬉しくなれる。
たまに考えるのは、ボランティア活動をしてもっと誰かに喜んでもらえたら、もっと気分良くなれるんじゃあないか、ということだ。あまりにも自己中といえば自己中。
しかし人は100%善意で動けるかといえば、基本的にはそんなことないと私は思っている。誰かのために身をなげうてるのも、「自分にとってその人が必要だから」引いては自分のために動くものである。

まぁ、考えているだけでなかなか実行に移せていない。私の場合、生来の不精さが勝つのだ。やっぱり誰かのために動ける人はすごい。私は自分の為でもこの体たらく、少しは活動的になりたいもんであるが、性癖は治らぬ。南無。

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