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未来が見えなくなった
大げさなタイトルである。
私は超能力者ではないし、モナドも持ってない。私は未来を夢で見ていた。いわゆる予知夢だ。
昔は予知夢のような夢を見ることが多かった……という話は以前にも書いた。このときは正夢と書いている。
予知夢と言っても本当にちょっとしたものなのだ。行ったことのないお店に行って誰かと話したり、遊んでいたりする断片的な場面が見えるだけという、ささやかなものなのだ。
人生の指標になるような夢は、覚えている限り見たことがない。
けれど、アラサーに差し掛かる頃から全くと言っていいほど予知夢を見なくなった。
なぜ見えなくなったのか。
以前のnoteでは、前世までの私は今の年齢になる前にその生涯を終えたのかもしれない。だからアラサー以降の人生は想像できないのかもしれない、なんて書いていた。
そんな出るはずのない正解に妄想を巡らすことがある。
もしかして見られる未来がないからではないか、なんて怖くなってしまうこともある。死を忌避する私らしい考え方ではある。だが1年半も前から見ていないなら、この説は否定して良いのかもしれない。
ならばなぜ予知夢を見なくなったのか。最近考えたのは、私自身が未来を流動的なものだとこの年にしてやっと理解してきたからではないか、と考えた。
昔見たテレビ番組で
「今日は会社を休んでどこかへ行こう」
という企画を見たことがある。駅でインタビューした一般人に「今日は会社を休んでどこかへ行きませんか?」と呼びかけるのだ。(当然だが会社には電話連絡を入れる)
それぞれ温泉や観光地へ行ったりしていた。
そう、行こうと思えばいつでも、どこへでも行けるのだ。
そんな流動的な未来で、最近は大きな目的地を失っている。学生のうちはどんな高校へ、大学へ行くか、会社に入るかというひとまずの目的地が与えられている。
それに引き換え今の私はのらりくらりと、くらげなし漂いながら生きている。
幸いにして趣味はあるし、文章力を上げたいという目標もあるが、具体的な目的地がない。この目的地のなさが、私から予知夢を失わせたのだろうか。
新しく人生の目的地が見つかり、それに向けて行動すれば、また予知夢を見ることもあるだろうか。
こんな空想ばかり巡らせて毎日を生きている。予知夢を見たい、というよりは、目的地が見つけたいのだな。
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