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【エッセイ】"綴"じ蓋は"閉"じ蓋にあらず

破れ鍋に綴じ蓋(われなべにとじぶた)

失礼なことわざだなぁ、と思っていた。
「綴じ蓋」を「閉じ蓋」と勘違いしていたからだ。
人間を破損した鍋と閉じる蓋になぞらえて、どんな欠点のある人にもピッタリの伴侶が見つかる、と説いている。蓋についてはなにも言わないくせに、片方を「破れ鍋」と不良品扱いとは、失礼千万極まりない表現をしてくれる。そんな風に捉えていた。
(世の中全員が伴侶を求めていないというツッコミについて、今したいのはその話ではないので割愛する。)

しかしながら実態は「綴じ蓋」だ。閉じる蓋ではなく、綴じた蓋のこと。"綴じる"には離れたものを1つにまとめる意味がある(参照)。本を綴じる、というのはバラバラの紙を1つにすることだし、蓋を綴じるのはバラバラに壊れた蓋を1つにすることだ。

なので正しくは、どんな欠点のある鍋にも相応な蓋がある、つまりはどっちも壊れ物でお似合いという意味だ。凸凹コンビと言えば欠点を補い合う組み合わせなので、意味としては真逆だ。

元義では似た者同士がいい、というポジティブな意味も含まれていたようだ。しかし今では「破れ鍋」の時点で悪口になってしまう。現代では、破れた鍋は棄てる。よほど良いものや大事なものなら直して使うだろうが、新しいモノを買う方が安上がりなことがほとんどだろう。
「破れ鍋に綴じ蓋」という言葉は、いまと違ってモノを直して大事に使うことが当たり前だからこそ、悪口にならなかったのだろう。

価値観の変化は言葉の印象も変えてしまう。このことわざは世の移り変わりの面白さを感じるとともに、意味を正確に汲み取ることの難しさも感じさせることわざなのである。

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