読書は共感という治療
名刺代わりの10冊は選ぶのが難しかった。またやったらきっとラインナップは変わる。
今まで読んだ作品から選ぶと咄嗟に『星を継ぐもの』と『ぼくのメジャースプーン』が浮かぶ。好きな作品は沢山あるが、このあとを選出するのが難しい。なにがしかの影響を受けた作品を中心に選んだ。
読書家かどうかを読む冊数で定義するなら、私は読書家ではない。
物語を楽しむ手段は本以外にも口伝や漫画、ゲーム、映画、舞台と多種多様だ。他の媒体も楽しんでいる私は読書一辺倒ではない。
ただ小説は、それらの媒体の中で、ひときわ受け取る側の心に寄り添ってくれる存在だ。共感することで心に広がる感動が増す。
もちろん単純に面白くてワクワクする、想像の世界が広がる楽しみもある。先に挙げた『星を継ぐもの』はまさにそうだった。読み終えたとき、鳥肌が立つ経験をした作品は、今のところこの他にない。読書での鳥肌は他媒体とのそれとは別種のものがあった。
けれど『ぼくのメジャースプーン』を初めとした辻村深月さんの作品は、どれも読んでいて嫌になるシーンが出てきたりする。『ぼくメジャ』はカタルシスもあるが、個人的には聞きたくないような本音を描かれると心が苦しくなる。
同作者の『盲目的な恋と友情』では容姿コンプレックスを抱えた大学生・瑠璃絵が登場する。後書きでは「瑠璃絵の嘘は鎧、嘲笑されたことのない者には理解できない」とある。
本当にそのとおりだ。誰かがどんなに慰めても、そんなことないよと言っても、「嘲笑された」事実は変わらないし、コンプレックスが消えることはない。瑠璃絵の様子を見ていると、こちらまで心が苦しくなる。
ならばなぜ、そんな自傷行為のような読書をするか。それはこの描写によって「私だけが苦しんでいるのではない」と救われるからだ。
「そんなこと気にしなくていい」と言われたところで傷は癒えない。この傷は、私一人の抱えている傷ではないと、同じように苦しむ人がいるのだとわかった途端、それによって癒やされる傷がある。
この癒やしのすごいところは、読者は誰にも言いたくない、言えない傷を「話す」ことではなく「受け取る」ことで癒やされるところだ。遠く離れた誰かの心を癒せる、小説というのはなんて優しい存在なのだろう。
もちろん辻村さんの作品は苦しいだけじゃなく、優しさも救いもある。つい最近『かがみの孤城』を読み終えた。これも素晴らしい作品だった。辻村さんは作品によって振れ幅が大きいが、どれもこちらの心を揺さぶってくる。
辻村さん語りのようになったが、私はそんな人の心を揺さぶってくる作品が好きである。
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