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【感想】光る君へ 第31回「月の下で」

『神作家・紫式部のありえない日々』
また読み返したくなって読んでおります。面白いです。初めて知った時はタイトルに不安を覚えたのですけれど(すみません)、試し読みしたら面白くて。5巻も楽しみに待ってます。
この作品では紫式部の執筆活動を「同人誌」として捉えているので、この説明で興味を抱く人にはおすすめです。

以下、光る君への感想です。






・公任、斉信、実資のシーン、演じる3人のうち2人がお笑い畑の人でコメディタッチのシーン演じるの笑っちゃうな。
それでもコントっぽかったりは全然しないのでさすがです。


〇『源氏物語』誕生、でも

・え、えええ、「帝に献上するもの」と理解したうえで桐壷の段を書いたってことにするの……?

一般的な学説では、『源氏物語』は紫式部が書いて、友達の間で広まって、評判が宮中にまで届いて、道長が紫式部をスカウトした……と認識しております。

この大河ドラマ「光る君へ」はあくまでも「まひろと道長の物語」で、だからこそこの二人が生み出したことになったのかな。

でも二人で生み出すのはいいとしても、本人とその周りの人をネタに物語にするって、不敬というか、失礼に当たらないのだろうか……?
ほとんど知らないような相手から「お前の知人にお前の人生のことを聞いて物語にしたで」って作品を差し出されたら、気持ち悪いと思うんですけどね。

そういえば、まひろは以前にも一条帝に直談判していたんですよね。身分にとらわれず、能力のあるものに機会を与えてほしい、と。
それとも責任は依頼主である道長様がとります、ということか。


ただこれ、もしあの世の定子様が知ればまひろを諫めそうですし、北風と太陽でいうなら北風方式の諫言では? とも感じます。
前向きに考えるなら、帝に意見できる人間なんていないし、一条帝のことだと書いているわけではないですし(この作品は実在の……後略)、珍しい直接的な諫言として聞き入れられるのかな。
そんなの「フ、朕に意見するなんて。おもしれー女」ってなっちゃうじゃん……(なりません)

献上された「桐壺」を読んだ一条帝の反応、私は「これは自分のことじゃないか」と驚いたように見えました。一条帝の胸中は次回判明するのでしょうか。


〇まひろと道長と直秀と

・久しぶりに直秀の話が出てちょっと嬉しいな。

父「直秀って誰だ」
私「「帰るのかよ」の男」
父「ああ」

わかるのかよ。

・今回の土御門邸にも明子のところにも行っていない状態で、他の家族もいない状態でまさか、抱いたりしねえよな……? と不安に思っていたので、正直なところ安心しました。
今回は「帰るのかよ」ではなく「帰ってよかった」でした。

・賢子との関係、前回まで程こじれてないようだけど、作中の意識は完全に執筆の方に向かっていますよね。
子育ては完全に、いと やじいじ(為時様)に任せる感じでしょうか。貴族の子育ては"乳母任せ"のイメージは確かにあるのですが、平安時代のスタンダードとして一般的なのかは全然わからない。
少なくとも倫子様は子供たちをよく見ている。まひろ、賢子が育った時に「貴方の子は何が好きなの?」と問われて答えられないことにならない?


〇私の熱中度が下がってきた

・まひろの子が道長の子である話が出てきた辺りから、ドラマ全体に対して自分の熱意が少し冷めてしまったところがあります。

自分でも熱意の冷めてきた理由がわかっておりません。これが「史実に則ってないから」だけなら、もっとフィクションとして割り切ることができれば普通に楽しめるのかもしれません。
面白くないの? って聞かれたらそんなことはないので。

紫式部と源氏物語をテーマにした物語などは、長い歴史の中できっと多く作られてきているんですよね。
単にその時点で判明している事実を映像化するだけなら、わざわざドラマにする必要はあるのだろうか? と、そんな疑問もないわけではありませんし。

『光る君へ』が始まる前、「このドラマはフィクションです」といつもの大河以上に強調されている、と言っている人を多く観測しました。
私自身は大河をきちんと見るのが初めて見るのでわかりませんが、毎回おそらく事実と脚色を織り交ぜて、「面白く」作ろうとする中で、今回はとくに大胆な脚色をするよってことなのか、普段からこうなのでしょうか。
(幼少時代の紫式部=まひろと道長が出会っている時点でフィクション感もりもりではあるんですが)

なお史実関連で今楽しみにしているのは、初めての宮仕え後、5ヶ月引きこもるまひろです。どうなるでしょうか。






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