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【エッセイ】嫌い嫌いが好きとなる

昨日はスカートが嫌いだったが履いてみてその良さを知り、好きになった話を書いた。
誤解なきよう書いておくと、私は全人類スカートを好きになれ、そして履けなどと言うつもりは毛頭ない。履く気のない人も、履いてみたら好きになる可能性はあると思うが、履きたくない人に無理強いする気はない。そんなん自分がされたら嫌だ。

それはそうと、嫌いなものがいつの間にか好きになっていた経験は他にもある。
その一つが食パンの耳だ。

何故かは知らないが、小さい子供は食パンの耳が嫌いなことが多いらしい。私も他聞に漏れずそんな子供だった。
しかし「食パンの耳が嫌い」だと自覚した頃には、同時に「食べ物は粗末にしてはいけない」という認識も刻まれていた。耳だけを残すことはしなかったが、「嫌いな部分を先に食べる」という食べ方はしていた。持つところ以外の耳の部分は最初に食べていた。

しかしそんなことを繰り返して、いつの頃からだろうか、先に食べるパンの耳部分の方が楽しみになっていた。
食パンは必ずトーストして食べる。マーガリンを塗ってからスライスチーズをのせて焦がしたり、バターで焼き上げてからハチミツをたっぷり乗せることもあった。味付けした真ん中の白い部分ももちろん美味しいのが、ただのサクサクとも違う、あの耳の美味しさは食パンでしか味わえない。
いつあの美味しさに目覚めたかは覚えていないが「先に耳だけ食べる」という食べ方はしなくなった。かといって白い部分だけを先に食べ進めることもせず、つまり、普通の食べ方になったのである。

パン屋さんで買える食パンには、一斤焼いたときの、はじっこの部分が入っていることもある。今はあれが大好きだ。
白い部分を食べながら耳も食べられる。最高だぜ! うおおーッ! 家族に好物であることを伝えたら、はじっこは私のために残しておいてくれた。愛。

ちなみに福沢諭吉は、塾生がパンの耳を残しているのを見て「栄養価の高い部分を残すとは何事か!」と怒ったらしい。美味しいけど耳だけでそんなに違うんだろうか、栄養価。

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