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会ったこともない地下アイドルを3日だけ好きになったオタクの話

一番なりたくないアレルギーは、花粉症よりも魚卵アレルギー。

地下アイドルオタクのかべのおくです。


今回はnoteでスゴいアイドルを見つけたという話です。推しメンと呼ぶのには、少し図々しいかもしれません。今回はその経緯と、ぼくにとっての「本当に書きたいこと」について考えました。


誰をどうやって見つけたのか

それは、「リリスリバース」というアイドルグループのアサギさんです。

と言っても、アイドルとしての彼女はすでにこの世にいません。なぜなら2022年9月10日付でアサギはリリスリを脱退、SNSアカウントやnoteも削除されたからです。


そんな彼女に出会ったのは、この人のnoteがきっかけでした。

ここから元noteに飛んだ時、その文章のすさまじさに衝撃を受けました。そこからというもの3日間、暇があれば彼女のnoteがまとめられたマガジンを読み漁る日々を送ったわけです。

たぶんこんなことをするのを彼女は嫌がるのでしょう。でも残された時間でアサギというアイドルを知る手段は、これしかありませんでした。


ほんとうに書きたいこと

アサギさんのnoteに惚れ込んだわけ、それは普通なら言葉にしない感情を表現する力を感じだからです。読んだ中でもめちゃくちゃ共感した文章があるのでそれを引用します。

“人とオムライス屋に行くのが苦手だ。オムライスは間違いなく美味しい。そんなことはわかっているのだが、店内の明るい雰囲気と、オムライスという食べ物から醸し出される若さとピュアな雰囲気に溶け込むのが苦手なのである。また、この場にいる人間は皆オムライスを食べにここに来ているのだ、と思うとどうしようもなく恥ずかしい気持ちになる。少し前は人前でマクドナルドなどのファストフードや、ピザを食べるのもかなり恥ずかしくて苦手だった。そういう「子どもっぽい」という部類にカテゴライズされる食べ物を食べているという事実を直視するのが自分は苦手なのだろう。考えてみれば、そもそも中学生のころから「何かを口にしている自分」を他人に見られるのが恥ずかしくて仕方なかった。給食の時間になると、必ず机を「班」の形に並べなければならなかったのだが、自分がものを食べている姿を向かい合ったクラスメイトに直視されるのがひどくつらかったような記憶がある。”

「はずかしい」がくるしい

思えばぼく自身も、オムライスのような流行りのもの、映えるものを食べに行くのが苦手でした。それは、「ほら、お前はコレを食べにきたんだろ?」という、あれだったということに初めて気づきました。もちろんこれはぼくが、今まで陽の当たる道を歩けないような人生を送ってきたからこそ刺さるのかもしれません。

ともかく、短い言葉でそれっぽいことを書いているような「なんかいい感じのポエム」は世の中に溢れています。読みやすくて分かりやすいからです。しかしそれの多くは、適切な言葉に言い換えられてるんじゃなくて、ただ当たり障りのない、共感されやすい言葉で書かれてるだけのように感じます。

対してダラダラと長い文章は分かりにくいので人気が出ません。それに、書くのには時間もエネルギーがかかるでしょう。ポエムが服の一部を剥ぎ取る感じなら、長い文章は一枚ずつ服を脱がしてゆく感覚に近いと思います。でも彼女は、借り物の言葉でなく、回りくどくても自分の言葉で書くことに挑戦していました。

ぼくは、大抵の人は考えていることの10分の1くらいしか言語化できてないと思って人と接しているし、SNSやnoteもそれくらい差し引いて見ています。だけど時々、湧き上がった感情をピタリと言い当てる人や文章に出会うことがあって、それが「本当に頭のいい人」なんだと思っています。


アイドルの考えを理解すること

「推す」という行為は宗教に近いと思います。ライブに通う、特典会に行くなどといった推し活はすべて、推しメンの思想を理解することに繋がっているからです。もちろんアイドルなので、ダンスや歌で思いを表現するのは当然だと思います。しかしオタクは、SNSやnote、ブログなど「ステージ外」の活動もアイドルを知りうる手段として活用すべきでしょう。

しかしアイドルは普通、「アイドル以前」のことにあまり触れたがりません。イメージが崩れてしまううえに、なんかヤバいことが発覚するおそれもあるからです。ましてや、その多くはライブ配信の一部だったり、雑誌のインタビューだったりして深く話さないことがほとんどかもしれません。

アサギさんはアイドルの魅力、アイドルになるということを次のように述べていました。

“アイドルの面白いところは、正解がないところである。より正確にいうと、正解が一つではないところである。必ずしも顔が可愛くないといけないわけではない。歌が下手でも、ダンスが踊れなくても、売れているアイドルはたくさんいる。逆に、顔が可愛くても、歌もダンスもうまくても何年も報われず、売れないまま辞めていくアイドルもたくさんいる。自分はどういうブランディングをしたら良いのだろう?と考え、トライアンドエラーを繰り返して、工夫して売り込んでいくしかない。顔に自信がなくて、とかダンスや歌の経験がなくて…なんて、もはや言っている場合ではない。自分がアイドルとして上手くいくかなんて、なってみないとわからない。

 アイドルになれる人。それは、この世界に飛び込む勇気を持つことができたひとである。裏を返せば、それ以外はなにも必要ない。資格もお金もなにもいらない、手ぶらでなれる仕事である。周りの目、親の反対、コンプレックス。そんなものだって一度アイドルになって仕舞えばいつか自分の強みになるはずである。

 「アイドル、一回なっとくか〜。」と決心した一昨年の秋、就活中だった私はリクルートスーツを脱ぎ捨て、真っ黒だった髪の毛をブリーチした。実家に行って親にアイドルになる旨をパワーポイントと資料を使ってプレゼンした。あの頃のあの勇気が、たしかに今の自分に結びついている。”

「誰もが潜在的にアイドルになりたいし、なれると思っている」。

ぼくが彼女を知れた時間はわずか3日間。しかもライブハウスなどではなく、noteの文章でした。もちろんこれは、「もうすぐ全て消えてしまう」というタイムリミットがあったからに他なりません。しかしどこまでも真っ直ぐな彼女の言葉のおかげで、今まで接してきたどのアイドルよりも深淵に触れたような気がしています。

たぶん、もっと早くnoteを知れなかったこと、ステージに立つ彼女が見られなかったことは、これからも残念に思う瞬間がくるのでしょう。しかし、3日間だけ、noteだったからここまで濃い体験になったのかもしれません。先述したように、これも1つの推し活の形だと納得しつつある自分もいます。

アサギさんは「あなたという存在が、誰かの中で生きる希望になっているかもしれない。」と書いていました。もし今後出会うことがあれば、「あの時、勇気をくれてありがとう」と伝えられるように胸を張って生きたいと思います。


おわりに

まとめます。

今後、三茶に行ったら挙動不審になりそう。

以上です。

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