見出し画像

家で物音を立てても咎められない自由

はじめに

子どもの頃に禁止されていたものに、大人になってから執着するという話がある。私自身は28歳まで実家暮らしだったので、28歳まで禁止されていたが今ではできるようになったことのについて思い出していた。その中で、音にまつわるものについて、ちょっと書いてみる。

夜更かし

私は夜ふかしに憧れていた。私の実家の就寝時間は0時で、基本的にその決まりを守る必要があった。「規則正しい生活を心がける家だったのね」とか「健康に配慮してくれていい親御さんね」とか言われることが多く、まあその感想は間違ってはいないと思う。実際私自身も、健康にかなり気を遣う家だと思っていた。他に理由があったことに気づいたのは、実家を出たよりも後である。

高校生の頃、化学のレポートを40枚くらい書く宿題が何回かあって、毎回なかなかさっと書き上げられなかった。全然書けなくて、計画性のない私がわるいと親には怒られたが(これは真っ当な指摘)、宿題を出さないわけにもいかないので、徹夜を申し出たことがある。許可はしてもらえた。
結局一晩かけてレポートは仕上げることができたのだけど、「シャーペンの音や紙が擦れる音が気になって一睡もできなかった。」と家族に言われた。私自身はかなり物音に鈍感な方なので、ドア2枚と廊下を挟んでいるのに、そんなに気になるということが、てんで理解できなかった。そもそも私自身は、耳を澄ませたとしても、その程度の物音が聞こえるかどうかわからない。当時の私には、言いがかりにしか聞こえなかったので、受け入れられなかった。かなり神経質なのかなと思っていたこともあるけど、今ではきっとあれは聴覚過敏ってやつなんじゃないかと思っている。実際のところどうなのかは知らない。一睡もできなかったという発言も、あれは誇張表現で本当はたまに目が覚める程度で、ちゃんと寝れていたんじゃないかと思っていたけど、あれは比喩でもなんでもなくて、本当のことだったんじゃないかと今では思っている。

就寝時間が決まっていると、門限も自動的に決まる。0時に寝ていないといけないので、そこからシャワーを浴びたり寝る準備をしたりする時間を逆算したのが実質の門限だったのだけど、一度門限を破ってしまって飲み会に行くのを1ヶ月禁止になったのも今ではいい思い出。外泊も、旅行や合宿以外禁止だったので、門限までに帰る必要があり、門限ない子が羨ましかった。でも、物音に敏感な家族のいる家では受け入れるべき家の決まりだったんじゃないかなと今では思う。

私はずっと夜ふかしに憧れていた。夜更かしすれば終わらせられるにと思っていた勉強や課題があった。夜更かしをせずに済むように行動すべきというのもわかるし、夜更かしは健康に良くないというのも頭ではわかっている。でも、夜更かしって楽しいんだよね。

イヤホン

私は仕事以外では、両耳にイヤホンをさすことはほぼない。ヘッドホンは片耳だけつけられないのでしない。ノイズキャンセリングイヤホンも耳栓も、怖くてできない。
何でこうなってしまったかというと、私は自分の部屋に近づいてくる親の足音を一秒でも早く聞き取って、部屋でやってるやましいことをなるべく音を立てずに隠す必要があったからである。やましいことと言っても、これは勉強をしていないという意味でしかなく、書いていた詩や小説を机にしまうくらいのことである。机の中にしまっていた自作の詩や小説を全て抜かれて、「恥を知れ」と書かれた紙が一枚だけ入っていたときの衝撃は今でも忘れられない。
部屋の鍵をかければいいのではと思うかもしれないが、鍵をかけないのは、私は何もやましいことをしていませんよと伝える手段なのである。鍵をかけて、下手に前よりも色々と疑われるのが嫌だった。

一人暮らしをしている今でも、未だに周りの音が聞こえなくなるのは怖いと思ってしまう。いつか安心してノイズキャンセリングイヤホンをつけられる日が来るといいなと思っている。

音ゲー

音ゲーって、音楽を聞いてからこそ楽しいゲームだと思う。そもそもゲーム機が実質禁止の家で育ったので、スマホのゲームしかやったことがない。大学4年生のときに初めてスマホを手にして、ゲームを親にバレずにできるようになり、ソシャゲを飽きるまでいろいろとやった。このnoteは音に関する話を書きたいので、これはまた別の話だし、いつかどこかに書くかもしれないし、書かないかもしれない。そもそも既にどこかに書いた気もする。話がそれてしまったが、私がガラケーからスマホに変えて初めてやったゲームがラブライブ! スクールアイドルフェスティバル、通称スクフェスだ。ゲーム禁止の家だったので、音を出せばバレるので、無音でやっていた。実家を出て、音ありで音ゲーをできることに、喜びを感じている。もちろん音ゲー以外のゲームもだし、ゲーム機を使ったゲームができることにも(未だに親が家に来るときはゲーム機を隠しているが)。

ゲーム音楽

当たり前の話だが、ゲームを無音でやっていると、ゲーム音楽にハマることがない。ゲーム音楽を聴いて、ゲームのあのシーンね……となることはなく、あっ私のやってたゲームってこんな音ついてたんだね……と後からなる。ゲーム音楽を好きな人たちって、ゲームを無音でやらずに済んだ人たちなんだなと、ちょっと羨ましい。実家を出てからは、ゲームを音アリでできるようになって、やっぱり音アリの方が楽しいなと感じている。

カラオケ

私の家では音楽の授業の練習以外で歌うことはできなかった。合唱団に入っていたこともあるけど、学校の練習以外で練習したことがない。

私の実家にはカラオケに行く習慣がない。車も乗らないので、ドライブで歌うなんてしたこともない。

高校生の時に、寄り道禁止の校則を一度だけ破って、学校帰りにカラオケに行ったことがあるが、よくわからなくてほぼ歌わず、実質カラオケデビューは大学1年生だった。聴いたことがあっても歌ったことがない歌の音程は上手く取れないし、歌詞もよく覚えてない。家で自由に歌える人たちが羨ましかった。ヒトカラという概念を知らなかった頃は、一人でカラオケ店に行く勇気がなかったけど、ヒトカラを練習場にすることを覚えてからは、人と行くカラオケが練習の場ではなくなった。

通話

私の実家では、連絡網以外の電話は基本的にNGだった。飲食店の予約の電話も家の外でしていた。
いわゆる「自分の部屋で、恋人や友人と雑談通話をする」ということに、私は強い憧れがあった。実家を出てすぐのタイミングで、私はTwitter Spacesというものに出会ってしまった。本当にタイミングがよかった。これはX(旧Twitter)で、複数人と通話ができる機能である。自室からフォロワーと話せることが、楽しくて仕方がなかった。今でも楽しい。

住む場所

私は引っ越しをそれなりにしている。8回くらいは引っ越したと思う。昔は全然気づいていなかったんだけど、住んだことのある全ての家に共通しているのは、1車線の道路沿いだということである。どこに住むかを選んでいた家族が音を気にするからである。国道沿いや線路沿いに住むことを避ける人はそれなりに多いと思っているけど、2車線道路沿いですら住んだことがないので、私は耐えられるかわからないなと思った。私は物音に鈍感な方なので、多分あまり気にならないんじゃないかと予想している。

ピアノ

特に防音室があるわけでもない家で、ピアノを習わせてくれて、ピアノの練習をしていても怒られなかったことには感謝している。ピアノの音なら気にならないのかな。特定の物音だけが気になるって人も世の中に入るらしい。本人にはまだ聞いてないのでわからない。

どうすればよかったんだろう?

「そんなに物音が気になるなら、耳栓なりノイズキャンセリングイヤホンなりすればいいじゃん!」と言ったことが何度かある。でも、「耳に異物を入れるのが嫌!」と反対された。私が我慢してきたことと比べれば、耳栓くらいどうってことないのではと当時は思っていたけれど、人によって嫌だと感じるものも程度も様々なので、本当にものすごく嫌だったのかもしれない。
「別に一軒家だし、防音室作るお金もあるんだから、寝室を防音室にすればいいじゃん」って言ったこともある。防音室があった方が私も家でも楽器の練習ができるようになるから都合が良かったというのもあるけど(自分の楽器は持っていなかったし、借りて持ち帰ることも可能ではあったけど、大学で練習していた)。その案が採用されることは結局なかった。
もしかしたら何かの病気の症状なのかなと思って、「病院で診てもらったら?」と言ったこともある。家族は病院が死ぬほど嫌いなので、その案が採用されるわけもなく、今に至る。病院に行くことを提案されると気分を害する人は結構いるので、提案がストレートすぎたのかもしれないと思うけど、どう誘導すれば良かったかは未だによくわからない。どうすれば良かったのかなって話を書いても、「こうすれば良かったんじゃない?」って言われることはほとんどないんだけど、書くだけでなんか胸に支えていたものを吐き出せる気がする。案があれば教えて欲しい、その知見がまたどこかで活きるかもしれないから。

おわりに

人との共同生活って難しいよね、と実家にいた頃のことを思い出してた。誰か一人が我慢しすぎるのは良くなくて、お互いに配慮できるといいなと思う。聴覚過敏の人と暮らすのがキツいって話に読めるかもしれないが、耳栓するのを嫌がらない人だったら、なんかもうちょっと上手くイライラせずに生活できた気がした。それにしても、実家暮らしだった頃の私は聴覚過敏に対する理解が本当になかったと思う。実家にいた頃に理解できていれば、もっといろんなことを、仕方ないかと受け入れられていた気もする。次に同じような人と出会ったら、その時はちゃんと優しくできますように。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?