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星夜道

『ほしよみち』という名前でこのnoteを書くことにしたのは、暗い夜道のような私の人生の足元を、星読みの灯火がほぅっと照らしてくれたから...。

わたしの幼少期 見えない世界がすぐそばにあった。そしてそれは誰にも話せないけどそれでもいいや、と納得して受け止めていたおよそこどもらしくない時代だった。いつかnoteに書いたあの大好きなおばあちゃんからも大きな影響を受けていたと思う。思い出せば何やらシャーマンのようなヒトだった。おばあちゃんの家は限界集落の限界地。おばあちゃんの家から少し降ったところにあるお寺の大きな三本杉が縁側からよく見えた。「みっちゃん今日はあの杉の木をな、低いのから反対の低いのへ飛んで、最後に一番背ぇの高いのへと、カラスが順に止まったでなぁ。もうじき回覧板がくるずらよ。隣組のおじいさんの具合が悪くなってたで、そろそろお迎えだでな。」なーんて。そしておばあちゃんの預言通り隣組のおじいちゃんの訃報が回覧板で届くのだ。おばあちゃん...何者だったんだろう....。

わたしはわたしで、そのおばあちゃんの家に泊まっていると、トイレの窓から裏山に青い火の玉をよくみたし、他にもさまざまなこの世のものではないものとよく遭遇してきた。それは怖いものばかりじゃなく、素晴らしいお告げとしても受け取っていた。だから見えない世界は確実に在るし身近だし、それが普通だった。

占い大好き 四柱推命や姓名判断、タロットカードや占星術、書ききれないほど様々な占術を試してきたけれど、どの占いでもわたしの人生はなーんだか悲惨な感じだった。詳しく書くのも憚られるのでやめとくけど苦労苦難が多い辛い人生っぽいことが占われて、あちゃー....目も当てられん...っていう感じだった。だからわたしは割と若い頃からこの占い結果を信じて覚悟を決め、悲惨な人生を良くも悪くも受け止め(たフリをして)生きてきた。

色々ありすぎるので割愛し...今から8年ほど前に友人からの紹介で占星術師の杜香里先生と出逢った。その頃もわたしの人生は混迷を極めていたのだけど、杜先生に星読みをしていただいて初めて、「生き直せるかも」と感じた。星座占いは知っていたけど、西洋占星術という世界があることも改めてこの時認識した。それは単なる占いではなく、哲学でもあり心理学でもあり...わたしの人生はこの占星術との出逢いにより明るく、強く、光の射す方へと大きく舵を切ることになった。杜先生はよく仰っていた。「信じるのではありません、愉しむのですよ。」「スパイスのブレンド具合で人生は変えられる。足りないスパイスはちょっと足すとか多すぎたら減らすとか...星はそういうものだと思うよ」と教えてくださった。

『ほしよみち』は星夜道。そして星読道。   今わたしは星読みの世界にヒタヒタに浸って暮らしている。杜先生にご縁をいただいて知ったこの世界。移住後に杜先生と住まいが離れてリアルで学べなくなった代わりにと始めたオンライン講座で、心の師と出逢うことになった。わたしの星読みの心の師はマドモアゼル愛先生。月欠損理論を占星術界そして世界で初めて提唱された日本の占星術界の重鎮。愛先生にご縁をいただいて、わたしはまたrebornした。愛先生は愛の人。わたしも愛こそ全てと思い生きてきた。これからもそれは変わらない。

ヒトはいつからでも生まれ変われる

わたしのサロンのパンフレットに書いた言葉。今改めてその通りだなと思う。ヒトはいつからだって、今日からまた生き直そう❗️と思えばその通り生き直せる。その背中をポンっと押してくれ、辛い時にはそっと背中に手を当て支えてくれる存在が、星読みではないかと思う。生き直すにはまずは自分を知ることから....。目を逸らしていては始まらない。

愛は枯渇しないものだ。それはこんこんと湧く泉のように、溢れて留まることはない。この地球・宇宙に生きるすべての存在が、愛で満たされて生きるにはどうしたらいいか?それは皆が愛の存在になることだと思う。お互い与え合い、与え合う。奪い合いじゃないのよ。だって私たちは宇宙の星のひと雫としてある時代のある瞬間、ある場所を選んでポトリとこの地球星に生まれ落ちた。その生まれたことに意味がないわけがない。ここに存在するということはそのこと自体が奇蹟であり、愛の存在であり、やはり何らかの使命を持って来たのだと思う。星読みにどっぷりと浸りながら暮らす最近に思うこと。自分を信じるということは宇宙への信頼と手離す勇氣かな...。

わたしの星読み 必要としてくださる方に届きますように....。                ご連絡はこちらから...iyashireborn@gmail.com


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