シナリオと小説の違い・『丸裸で書く』

シナリオと小説の違いとは具体的にどのようなものでしょうか。
大きくは次のように大別されます。

・シナリオを構成する要素は3つ。小説は2つ
・シナリオは映像描写が前提
・シナリオは作品の一部。小説はそれ自体が商品

■シナリオを構成する要素は3つ。小説は2つ

前回の記事にて、シナリオは『柱・ト書き・セリフ』で構成されると述べました。
小説では『セリフ・地の文』で構成されています。
"『地の文』と『柱・ト書き』"はなにが違うかを知ることが肝となりそうです。
それに関しては次項の『シナリオは映像表現』も合わせて知ることが理解の助けになります。

■シナリオは映像表現が前提

前項で述べた『地の文』と『柱・ト書き』の違いとはどのようなものでしょうか。
平たくいうと、"地の文はセリフ以外の全ての描写を盛り込める"というものです。
つまり、"場所と時間の指定しかできない『柱』"や"光景や演技を具体的に指示をする『ト書き』"以外のことも、『地の文』は書くことが出来ます。
ここで地の文の大きなアドバンテージとなるのが、心理描写を描けるということです。
例えば次のような小説の一説は、そのままシナリオに書くことはできません。

例:夏目漱石『こころ』より
 私はそのまま二、三日過ごしました。その二、三日の間Kに対する絶えざる不安が私の胸を重くしていたのはいうまでもありません。私はただでさえ何とかしなければ、彼に済まないと思ったのです。その上奥さんの調子や、お嬢さんの態度が、始終私を突ッつくように刺戟しげきするのですから、私はなお辛つらかったのです

……小説ではこのような心の動きや感情を書くのは普通の事です。
しかしながらシナリオの『柱』と『ト書き』には、心の動きや感情を直接描くすべがありません。なぜなら"どのように映像として表現するか"を前提として書くものだからです。

もしシナリオでこのシーンを描きたければ、このように書きます。

〇主人公の自室(朝)
   寝間着姿の主人公が物憂げな表情で座卓に頬杖をついている。
   おもむろに頭を掻きむしり、畳の上へと背中から寝転がる。

〇同(日替わり)
   窓から曇った空が見える。
   普段着の主人公が依然畳の上に寝転がっている。苦悶の表情。

〇同(夕)
   雨。窓から見える外は薄暗い。雨が降っている。
   主人公、畳の上に膝をつき、頭を抱えている。
主人公「クソっ……Kになんて言えばいいんだ」
   と搾るような声で呟く。

以上のようにすれば、主人公はKに対して打ち明けなければならない秘密を抱えていて、しかし言い出せずにいる苦しみを2,3日間味わったということが何とか伝わりそうです。
シナリオを書くときは常時、『映像にならない心理描写をどのように表現するか』ということに苦心させられます。

※こぼれ話
シナリオはト書きとセリフで構成されており、小説のように地の文による心理描写ができないと述べました。しかしながら『朝ドラ』ではあるかっきけきな方法でシナリオが持つその弱点を克服しています。
それはナレーションによる心理描写です。
朝ドラでは、「そのとき○○は、××と思った」などの直接的な心理描写をサラッと盛り込んできます。
直情的な人物は敬遠されてしまいます。もし登場人物が何かあるたびに自分の思ったことを口にしてしまっていたら、観客や視聴者は白けてしまうことでしょう。
しかしながら"劇中の登場人物がどう思っているかという心の機微"は、作品をじっくり観ていないと中々伝わりません。
そのうえ、朝ドラは"朝の忙しい時間帯"に観るドラマです。細かな心の機微を漏らさずに理解しろというのは無理な相談でしょう。
その打開策として設けられたのが、"登場人物ではない第三者の視点によって登場人物の胸の内を語る"という手法です。
これによって家事や身支度の合間に観ていても的確に登場人物の心情を観客が把握できるという大きな利点があります。
ドラマでありながら小説的な手法を導入した本シリーズはまさに『朝の連続テレビ小説』と呼ばれるに相応しいと思っています。

ちなみに登場人物が自らの心情をナレーションとして語る場合もあります。
古い作品ですが、『タイタニック』での年老いたヒロイン・ローザの昔語りの場面や、『ファイナルファンタジーX』のティーダの回想ナレーションなどがそれです。どちらも不朽の名作ですので、まだ物語に触れていない方はぜひ体験してみることをおススメします。

■シナリオは作品の一部。小説はそれ自体が商品

以前の記事でも述べましたが、"シナリオは設計書"です。
シナリオを基にして役者が演技して、カメラで映して、効果音などをつけることで一つの作品として仕上がります。
シナリオ単体では売り物になりません。
小説はそれ単体が売り物になります。
この違いが、表現方法に決定的な違いをもたらします。
それは、『シナリオとはエンターテイメントである』ということ、『結末まで描き切る』、『丸裸で書く』というものです。

〇シナリオとはエンターテイメントである

小説は作者一人いれば完結しますが、シナリオはたくさんの人の手によって完成します。
では、どちらの方が世に出すのにコストが抑えられるでしょうか。
小説の方が圧倒的にコストがかかりません。作者一人で完成させることができるからです。
シナリオを用いてアニメやゲームを作ろうとすると、人件費だけでも数百万円はかかることになります。
小説は日々の生活の合間に書くことができますが、シナリオを商品化するとなるとそうはいきません。
商品を売るということは、商売になります。
商売は"黒字化"が前提です。
黒字化するには経済のパイが小さいよりも大きい方が有利です。たった一人を相手するよりも10人を楽しませた方が実入りがよくなるのは必然です。
売れるには"多くの人に観てもらうこと"が必要といえます。
そのため映像化・メディアコンテンツ化するシナリオは、"多くの人に楽しんでもらうことが前提のエンターテイメント作品"として仕上げるのが前提となります。
反論はあるかもしれませんが、ほとんどの映画やドラマは赤字を出さないように企画・制作をされます。
そうなると自然と、多くの人が敬遠するようなテーマは避け、流行の作品を作るように求められます。
小説であっても多少は流行をおさえ、多くの人に共感してもらえるように書かねばなりません。
しかしながらシナリオはその制約がよりシビアになります。
企画書を提出する際は、「なぜこの作品が売れるのか?」と明確に説明できなければ、採用してもらうのは厳しいでしょう。
この違いは同じ文筆活動といえども、内容やテイストに大きな差をもたらします。
私の所感ではありますが、"シナリオは極力エンタメ寄りで、多くの観客とクライアントを幸せにするために"、"小説はたった一人でもいいから本当に必要としてもらえる人のために、あなただから書けるものを"という心づもりで挑むのが正当だと思っています。

〇結末まで描き切る

先ほど、シナリオは商品であり黒字化を達成するのが使命だと述べました。
では観客はシナリオを基にした映画やコンテンツに何を求めてお金を出すのでしょうか。
それはひとえに『カタルシス』を得るためです。
カタルシスについて、アリストテレスの『詩学』ではこう述べています。

"悲劇が観客の心に恐れと憐みの感情を呼び起こすことで精神を浄化する効果"

観客は物語の中の登場人物や主人公に自分を重ね合わせます。
その人物が、観客がやりたくても出来ないこと……ドラマチックな恋愛、冒険、人生を送り、目標を達成することで、観客は感情を揺さぶられ、結果としてカタルシスを得ることとなります。
つまり"カタルシスを観客に与えること"こそが、シナリオを基にしたコンテンツの大きな目的なのです。
しかしそんなコンテンツが、結末まで最後までしっかりと描かれていなければ観客はどのように思うでしょうか。
きっと返金騒動が起きたり、レビューでメチャクチャに書かれることでしょう。
小説であれば話は変わります。
小説では結末を読者の手に委ねても構わないからです。
もちろん小説でも結末がきちんと描かれるのに越したことはありませんが、それよりも"作品のテーマ・作者が読者に問いかけたかったこと"の方が重視される傾向にあります。

結末をあえて描かないことで、テーマについてじっくり考えてもらうのが小説の醍醐味である。
一方シナリオは、結末まで書かないとお話にならない。
この2つの相違点は小説とシナリオを大きく隔てる要素の一つです。
しかしながらもしあなたが、シナリオだけしか書くつもりがなければ、『シナリオは結末まで書かないといけない』とだけ留意すればそれだけで十分です。
ちなみに私の主観的意見ですが、ここ2,30年の間で大人でもマンガ・アニメを観ることが一般的になって図書離れが加速したことで、小説でも結末を明確に描かないことが非難の対象になっている傾向が見られるようになっていると感じています。
私は表現の自由のために、"結末を明確に描かない小説があってもよい"と、世の中の人が広く許容してほしいと思っています。

〇丸裸で書く

文字通り、裸になってシナリオを書くという意味ではありません。
"余計な装飾語や形容詞を使わない"という意味です。
くり返し述べていることですが、"シナリオとは設計書"です。
誰が見ても同じ光景を彷彿させる客観的な光景を描かなくてはなりません。
読み手によってバラバラの印象をうけてしまい齟齬が生まれると、現場が混乱してしまいます。

反面、小説は作者オリジナルの文体でなければ特徴が出ません。
なので小説家は他の人の作品をバンバン読んで、オリジナルの文体を身に着けることが一つの難関といえます。
シナリオライターには必要のないことです。
オリジナルの表現など持たずに、要らない表現を極力削ってシンプルに書くように心がけましょう。

■まとめ

以上がシナリオと小説の違いをまとめたものです。
まとめると、
シナリオは『柱・セリフ・ト書きを使って、シンプルで目に浮かぶように書く』
小説は『セリフと地の分で、心理描写を織り交ぜながらオリジナルの文体を用いて書く』
といえます。
あくまでも一般論ですので、例外もあります。
ですが習い始めのうちは、なるべく基本を押さえるようにしてください。
内容が伝わらなければ、シナリオであろうと小説であろうと値打ちがありません。

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