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エンドマークのない物語 【モダンスイマーズ「だからビリーは東京に」他 感想】

以前勤めていたパート先に、タナカさんというお芝居の好きな方がいた。

私はそれまであんまりお芝居を観ない人生を送ってきたので、タナカさんの語る楽しそうな話が新鮮だった。
加えて当時の我が家は、末っ子がまだ小学生で、子どもファーストのレジャーしか選択肢にない日々だったから、「自分ひとりのためにお金と時間を使う」っていうこと自体もすっごく新鮮で、イイナア!と思った。

それで、「私もお芝居を観てみたいんですが、なんかおすすめはありますか?」
と、困っちゃうような質問をタナカさんにしてみた。
そうしたら彼女はいっぱい考えてくれて、
「うーん。そうだなぁ。なにがいいかなぁ。うーん。わたしはモダンスイマーズが好きだけどなぁ」と教えてくれた。

モダンスイマーズ。
初めて聞く名前。ちょっと変。だけどなんかかわいい感じ。
なによりタナカさんのお墨付きだ。

私はそれをきっかけにモダンスイマーズの舞台を観るようになった。
これはそんな私の、小さな「私的モダンスイマーズ体験記」です。

①「悲しみよ、消えないでくれ」


初めに観たのは句読点三部作のひとつ、「悲しみよ、消えないでくれ」だった。タナカさんに聞いてすぐチケットを取って、週末にダンナに子どもらを任せて観に行った。

その頃は介護やら育児やらで立て込んでいて、自分だけのために出かけるなんて何年かぶりのことだったし、そもそもひとりでお芝居を観るなんて初めてのことだった。

そうしたら、いいかげんで情けなくて不器用な人ばっかり出てくるし、なにより物語が完結しないのでびっくりした。
完結しないというと、本当はちょっと違うのかもしれない。
でも普通なら、ハイこのお話はここでおしまい!と気持ちよく終わるところが、この話は気持ちよくないのだ。場面は変わるかもしれないけれど、これからもこの人の物語はまだまだ続いていくんだろうね……っていう宙ぶらりん感が強く残った。
私の知っている大体の物語には、ハッピーでもバッドでも、とにかくちゃんとエンドがあるのに。

しかもこれは、座って観ているだけなのに、HPがじわじわ削られていく作品だった。観ている途中から、胸に重たい鉛の棒みたいなものがずぶずぶ刺さって痛いし、観終わってもしばらく鈍い痛みが消えない。

なんなのこれ? と戸惑いながらも、私はよくわからない涙を流し続けて、タートルネックの首元をぐっしょり濡らした。おかげで帰りにデパートにでも寄ろうと思っていたのに、よろよろと地下道から直帰する羽目になったのだった。

②「ビューティフルワールド」


次に観たのは「ビューティフルワールド」。
中年オタクとパッとしない主婦の純愛? の話らしい。
それはパッとしない主婦としては観ないわけにはいかんだろう。

でも前回のことがあったから、割とかまえて観にいった。
かまえて正解。
やっぱり、いいかげんで情けなくて不器用な人がマシマシで痛々しくて、HPを削られる劇だった。そしてまた物語は、ハイおしまい!という気持ちの良い幕引きではなく、情けなくて先行きが心配なまま終わってしまった。

けれど、愛おしくて美しかった。
私はまた、説明できない涙がいっぱい湧いてきた。

とはいえ、たくさん泣いたからといって、私の冴えない毎日が劇的に変わったりなんかはしないのだ。
ただ、パッとしない日々の中でも、私の底の方で、じいんとなにかが共鳴するような、しないような、そういうかすかな震えを覚えた。
今まで、自分でも気がつかなかった種類のさびしさとか、むなしさとか、やさしさみたいなものに、弱い光が少し当たったみたいだった。

③「だからビリーは東京で」


で、先日のことである。
「だからビリーは東京で」というお芝居を私は観に行った。千秋楽であった。

三度目の正直。三度目のモダンスイマーズ。
しかも、今回はひとりではない。
迷った末、高校生の次女と中学生になった息子を引き連れての観劇だったのだ。

次女はいいんだよ。
中高と演劇部部長で、モダンスイマーズは初めてながら、ひとりでもいろんな舞台をバンバン観にいっちゃう子だから。物語に対する受け入れ準備みたいなものができている気がする。

だが息子は、非お子様向けのお芝居は学校行事以外では見たことがない。しかもまだ精神的に幼いところがある中坊だ。
その子がスイマーズデビュー? 
ダイジョーブかなぁとちょっと心配だったけど、うん、まあ、連れてってみた。

「とある劇団と、何かを始めようとした若者の話です」
とチラシにある通り、「ビリー・エリオット」のミュージカルに感激した大学生の男の子が、演劇をやってみようと突然劇団に入団する。けれど、コロナがやってきて「踏み出そうとしたその足をどこに着地させてよいかわからなくなった」話であった。
未来や才能や努力してきた時間をやみくもに信じてきた団員たちも、コロナをきっかけにして現実と向き合うことになる。

印象的だったのが、劇中劇の中で主人公の凛太郎が言う、
「助けてください、僕はどこかへたどり着きたいんです。ここはまだその途中のはずなんです」みたいなセリフ。(正確ではありません)

ああこれかぁ〜! と、なんだか腑に落ちた気持ちになった。
この舞台に限らず、モダンスイマーズがずっと描いているものって、もしかしてこれなんじゃないかな? 
いい加減で情けなくて不器用な、何者にもなれない人たちの「途中」そのもの。
唯一無二のビリー・エリオットになりたいのになれない側の人たちが、いつまでもみっともなく続ける、もがき。
そんな、ハッピーエンドにもバッドエンドにもまだなっていない、いやそもそも今後もエンドマークが付くのかわからない「途中」の物語に、弱々しい光をほんの一筋注いでいるんだ。

だから何者にもなれなかった私を、今後もなれないままかもしれない私を、あんなに泣かせるんだろう。

今回もやっぱり私は、謎の涙にくれて嗚咽していた。
そうしたら次女がカーテンコールでぴょこんと立ち上がって、スタンディングオベーションをしてるじゃないの。
そうか、お芝居ではこうして「いいね!」的なものを伝えられるんだっけ。
嗚咽しながらモタモタ立ちあがろうとしていたら、母を差し置き息子がスッとスタンディングなオベーションをし始めた。

え、おまえさん。初観劇で初スタオベ?
遅ればせながら母も泣きながらスタオベる。

帰り道、「どうだった?」と聞いたら、息子は「負けた!」と即答した。
え、おまえさん。だって演劇やってないのに? 
でもワカル。単にお芝居とかのことじゃなくて、なんかに圧倒的に「やられた!」って気持ちになったんでしょ?
「すごかったね。観てよかった」
そっか、よかった。とりあえず、なんかをズバンと受け取ったみたいだね。

次女はといえば、
「え、感想とかすぐに言葉にできるわけないでしょ。いろいろ考えて言葉にするまで1週間はかかるよ」
となぜかキレ気味に答えた。
それもワカル。適当にわかったつもりにしたくないし、受け取ったものを大事に扱いたいんだろうな。

「大体さ、なんで『だから』なの? まずタイトルが意味わからないんですけれど」
た、たしかに。
普通なら「そしてビリーは東京で」とか、「それからビリーは東京で」とかになりそうなのに。
あとは「けれどビリーは東京で」とか「やっぱりビリーは東京で」?
っていうか、「なんでビリーは東京に?」と思うんだけど。

それなのに、「だからビリーは東京で」。
「だから」ってことは、なにかの理由なのよね? なんの理由? どんな理由?
そしてこの後、どう続くんだろう。
次女の脳内整理がついたら、あれこれふたりで考察を深めたいところだ。


私にモダンスイマーズを教えてくれたタナカさんはというと、その後すぐに職場が異動になってしまい、私もそのパートを辞めてしまって、そのままずっと会っていない。もう会わないままかもしれない。

でもあのときいっぱい考えてくれて教えてくれたおかげで、私は観劇のおもしろさを知ったし、子どもたちとも分かち合っている。
そしてこれからもきっと、私はモダンスイマーズを観にいくと思う。

届かないかもしれないけれど、今もありがとうって思っているんだ。
タナカさん。


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