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熟成ミルフィーユ

「ゆたかさって何だろう」

今回の自粛生活ではっきりわかった。

私にとって「ゆたか」なのはライブに行くことだ。

2月末から待ちに待ったライブツアーが始まり、5月までに6公演参加する予定だった。椅子に着席する会場ではなく、久し振りにライブハウスでのスタンディングライブ。

京都、岡山、滋賀、奈良、愛知、東京。

会場までのルートを確認し、電車の時間を調べ、周辺のお店を口コミサイトで調べる。

ライブ開催の情報が上がった去年11月から、私のライブ活動はグーグルマップの上で始まっていた。

特に今回のライブは、子どもの受験が終わる2月末から始まるということで、それまでの受験のピリピリからの開放と重なるタイミング。弾けまくるぞと、テンションを上げていた。

風邪やインフルエンザにかからないよう気を配りながら過ごした。新しいウィルスのニュースを見て、更に気を引き締めながら生活した。きっと大丈夫、きっと大丈夫、きっと大丈夫。

京都の延期が決まった。開催の2日前だ。うすうす覚悟はしていたが、はっきり通知されるとその覚悟は甘かったと思い知る。その後、次々決まる延期、延期から中止への変更。

私の楽しみは全て失われた。

仕方ない。今この状況でライブは無理。ましてやライブハウスでは無理。ちゃんと理解しているし、受け入れる。けれど。つらい。

ライブを楽しみに浮き浮き気分だったのに、毎日、泣きそうで、ずーっと、薄ーく、悲しい気持ちが降り積もっていく。心が重くなっていく。

そんな時、アーティストが動いてくれた。3密を避けた場所から、ライブを生配信してくれたのだ。違う涙が溢れる。同じ時間を共有できることが、こんなにも嬉しいとは。画面の前で誰もが最前列でライブを楽しんだ。また必ずライブ会場で会いたいと強く思った。その後も、当初予定になかったアーカイブを公開してくれたり、ツアーグッズを通販してくれたりと、アーティストとファンを繋いでくれている。

緊急事態宣言が解除された。

とはいえ、すっかり元に戻るのは難しい。

ライブ配信の予定があり嬉しいが、会場で会いたいという切なさがその何倍もつのる。交互に訪れる気持ちに複雑さが増す。

あらためて思う。同じ場所で、同じ時間を。これを共有しているライブに行くことが私の「ゆたかさ」だ。

叶う日は来るはずだ。

その日まで待とう。その日には、積み重ねてきた思いをたっぷり味わおう。

その重なりはいちごのミルフィーユに成長しているかも知れないし、白菜と豚肉の重ね蒸しに成長しているかも知れない。

いずれにせよたっぷり熟成され、美味しくいただけるはずだ。楽しみを重ねて待とう。「ゆたかさ」を味わえる日を待とう。


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