地球視点と宇宙視点はたまた愛の視点

地球の視点でみたら
だめとされてるとゆーかあくとされてるものがたくさんある
例えば電磁波をつかった実験をしていたとか、きんをつかったじっけんをしてたとか
ひどいやつ
それをいまじっせんしてるだとか
いろんないろんなかがくてきなこと
またかがくをこえたもの
それは、じんこうさくげんだったりそれにつかわれてるだとか

でも、宇宙にむけてみたときに
地球ではないべつのくうかんで
生命体としていきていくうえで
いまのからだではたしていきていけるのか
へんかしなければいけないのではないか
しんかとよぶのか
へんかとよぶのか
そのとき、来るべきときのための
じっけんなのではないか
じっせんなのではないか

これにたえうるものではないといきれないのではないか

宇宙のそんざいは
テクノロジーとうまく共存してるのではないか
きんともでんじはとも
共存してるのではないか
いぶつととらえ
てきたいししてぶんりしているのは
ちきゅうじんだけなのではないか

でもまあ、こんぽんの
あいのしてんでみたら
どれもたいせつなこと
そのひとつひとつのたましいが
けいけんすべきことしかおきてないのだから
それもそれでいい
だれもそれにかちはつけられない
それぞれでいい
だから
いまいきてるせかいで
じぶんのおもうことできることを
おもうことをするほかない

えいえんのるーぷだ

ことばにするといつもむずかしい
このせかいのことばでは
表現できないことがやまほどだ

だけど
できるかぎりで
表現したい

うちからわきでるものを
この地球に還元したい

余談だが

たまに
くすりなどたよらずとも
人間は本来の力でびょうきをなくせたという

それはあるとおもう
波動しゅうはすうというものもある

しかしぎゃくをいえば
くすりがあくだとするならば
それさえもあくにせぬちからもあるとおもう

結局なにがきてもだいじょうぶという

意識がこのせかいをつくる

エネルギーのそりゅうしがつくる

それならなんでもあるのではないか

それがないこともまたそれ。

あるし、ない。

あるひとはあるし
ないひとはない

これもひとそれぞれ

それぞれにおこるべくしておる

いきるときはいきしぬときはしぬ
いきようとおもえばいきる
しのうとおもえばしぬ

ぜんぶあるしない。

ほんとにそれにつきるとおもう。

あたしのうちには
それがある

だけど、このからだをもってして表現しつたえていくことはむずかしい

なにをいってるかわからんっておもうじぶんもいるから笑


ちなみに、あたしは
ほとんどびょうきにならない
おおきなけがもしたことない

つきゆびもないくらい笑

熱もこどものころだけ

インフルにもかかったことない

ころにもなったが、無症状でねつもなし

しかも、なんか、なおせる

こどもの症状もやわらげられることもある

ぎゃくに、しょうじょうをだせてしまうこともある

やまいは、きから。
ほんとにそーおもう。

なにをはなしてるかなぞだけど、そんなかんじ笑

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