1月の振り返り@東京

温泉と人に癒されて鶴巻を後にした。

次に向かったのは東京だ。
これまでは東京は「帰る街」「生活する街」だった。今日からはこれまでとまったく異なる目線でみる東京になった。とはいえ、生まれ育った街のため観光地目線的なワクワクはないがいろいろ思うことがあったのでつらつら書き綴ろうかと思う。

①東京ってこんな感じだったっけ?
シンプルに「何か違う」という違和感を感じた。緊急事態宣言の影響もあり、人が出歩いていないせいか思ったよりも人が少ないことがとても印象に残った。にもかかわらず人の歩く速さや信号の変わる速さにがあまりにも早くなんとなく時間においていかれた気分になる。おそらくこれは前からなのだろう。東京という時間の流れの住人であったこと、その忙しなさで生きてきたこと(そもそもこんなに忙しなかったのね)を初めて外の世界からみることができた。

②東京って面白い!
自分が住んでる街に疑問を抱くことはこれまでほとんどなかったし、すでに知っているつもりでいたからあえて知りたいとも思ってなかった。しかし、東京から離れ、その後に都内を1,2泊ずつ移動していると他県はもちろん、東京都内の泊まっている街も比較することができた。同じ東京は東京でも「知りたい!」と思えるようになった。同じ下町でも、品川近辺の旧東海道の景観と、銭湯の多い平井の下町感は、都心に近い住宅街という点では同じだが全く違うおもしろ味を感じる。東京ではなくピンポイントに細かい駅レベルにその街を知ろうと思える。

③家の有無を通してコミュニケーションを考える私
なんかすごいきもいこと言っているなこの見出し。笑。まあいい。

正直この一ヶ月でここにいっぱい悩んでいっぱい泣いた。本当に泣いた。
そんな自分が東京に帰ってきて、それまでのちょっと冷静になってこれまでの自分と比較しつついろいろ考えてみることができた。

・これまで親しかった人とのコミュニケーション
東京から離れたことで、飲みに行こう!泊まりにおいで!がとかがいえなくなった。
何か細かいことや、なんとなく話したいことがあったこと、不満なこととかはなんとなく会った時に話すことができた。しかし旅をするようになったら、気軽に会えない距離になって、会う約束がしにくくなった。が、故に用事がないと話を切り出せなくなって、でもそれがすごく言いにくいことだと力んで、どうしても喧嘩腰になって、その結果、誤解を招いて取り返しのつかない状態になってしまった。
よくよく考えたら今回が初めてではない。仕事上でも話にくい時の話し方や立ち振る舞いの間違えて、話し方を間違えて取り返しのつかなかったことがこれまでもあった。その場の意識的な部分の方が強いと思ったが、行動/思考パターンが大きいんだと実感した。自己改革しなきゃ行けない時期みたい。プライベート・仕事共にもうこんな思いはしたくない。いつか話せる機会があればお礼とか謝罪とかいろいろちゃんと話せるといいな。

・出会った人とのコミュニケーション
立ち飲み屋通いの私は一見様とお話しするのは大好きだが、今回はまた話が違う。宿泊して、何日か一緒に生活する。飲み屋のその日限りのコミュニケーションと、生活するための自己紹介のコミュニケーションは立ち振る舞いや所作が全く違う。ニコニコ笑って適度に話がしやすいような雰囲気をまとえばいいだけだったが、毎日知らない人と生活するなら、自分のことをきちんと話せなければならないし、それ以上に目の前の人の話を引き出すことが本当に大切だし、とっても難しい。前述の親しかった人とのコミュニケーションにも共通している部分がすごいあるかも。

書きながら気がついたけども、どっちも自分の構え方だなあ。自己改革しなければならない年らしい。

とりあえず思ったことを書き綴ったそんな感じ。

そういえば実家から届いたフィルムカメラをゲットした。
必要なものを東京で入手して不必要なものは東京に置いてくる(実家に預けて)。私にとって東京は「生活する場所」から「整理する場所」へと変化してきた気がする。いつかこの生活をやめた時に東京が私にとってどんな場所になるのかが大変興味深い。

いろいろ考えたけど少しセンチメンタルになってしまった。

さあさあ、いろんな思いを巡らせながら山の方に向かおうか。


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