自分は、他者に何も与えられるものがなく無価値だと思っている人へ

私もよく、「何もできない」「もらってばかりで与えられるものがない」「そんな自分は無価値なのでは」と悩んでいました。そんな方が少なからずいるのではないでしょうか。

悩みに悩んだ結果、一つの気づきがありましたので書き記したいと思います。

●悩みの視線は常に自分中心
悩んでいる人は、ちょっと立ち止まって考えてみてください。
「自分」には何もない
「自分」にはできない
「自分」は無価値
全て「自分」が中心になっています。
・「誰に」「何のために」がはっきりしていない
漠然と「誰かに何かを与えたい」と考えても、「何を与えたらよいかわからない」「何も与えるものがない」という結論に行き着いてしまわないでしょうか。
これも「自分」を中心に自分の頭の中にいる人間に対して考えているからで、現実にいる相手のことを全く考えていないために、変な考えに着地しがちではないでしょうか。


●他者の目線や気持ちになって考えてみること
自分の手札(知識や能力)から誰かに何かを与えることを考えるのではなく、目の前の相手が何に困っていたり、欲していたりするのかを考え、それに対し自分の手札を見て、与えられそうであれば、与えるようにすればいいと思います。
例えば、元気のない人に声をかけるだけでも良いかもしれない。その人は悩みを聞いてほしいのかもしれません。自分には、その問題を解決できないかもしれない。だけど、解決できるかもしれないし、話を聞くだけで相手が自分の考えがまとまり、スッキリすることだってあるかもしれません。
また、例えば、周りに元気に挨拶をするだけでも十分なギブです。朝から前向きな気持ちになれたり雰囲気がよくなったりする。それだけで周りを少し幸せにすることができます。
元気よく挨拶をすることに特別な知識やスキルは必要ですか。
何も与えるものがないと悩んでいる人は、まず「元気な挨拶」からやってみてはいかがでしょうか。

●他者から「もらえている」ということは、それだけの魅力があるということ
「もらってばかりで申し訳ない」と思う人もいるでしょう。お返しできていないと悩んでいる人は、「なぜ与えてもらっているのか」を考えてみてはどうでしょうか。
もしかしたら、一緒にいるだけで楽しかったり、自分では何気なくやっていることが相手にとってとても嬉しいことだったのかもしれません。
また、恩を感じる相手に、直接恩返しをすることも大切ですが、受けた恩を他の人に分け与えることで間接的に、元の相手に恩が返ってくることもあります。
例えば、直接ありがとうと感謝を言われても嬉しいですが、第三者から、「〇〇さんがあなたのこと本当に感謝してましたよ」と言われると、信憑性も増す上、広く認知されることで助けてくれる人が増えたりすることがあります。そして、自分では助けられなくても、広がった輪の中で助けられる人が現れ、解決をしていくことも往々にしてあります。そうしたことの一助になれることも十分なギブではないでしょうか。


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