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noteを始めました。

はじめまして。

 思えば、ネットに自分の文章を晒すという行為を始めたきっかけは、『mixi』だった。『mixi』とはいわゆるsnsのはしりで『note』と同じように文章や画像が投稿できた。友人に招待され日記を投稿するとリアクションがあり嬉しくなった。若さ特有の心のモヤモヤや面と向かって言いづらいような事を、小説風にして登場人物に言わせるようになった。それが物語を書き始めたきっかけだ。だがそれも時間の流れと社会の荒波に沈んでいった。日々に忙殺され日記はおろか、創作することなんて全くできなくなった。

 しかし、心の中にはいつもアイディアを生み出すこと、メッセージを込めた文章を書くこと、誰かの心に響くような一文を発明することが居座っていた。誰かが思いついた鮮烈な一文に嫉妬すら覚えていた。ちょくちょくメモ帳を立ち上げては、思いついたフレーズを書き込む。それを元にストーリーを構築し、いざ書き始めてみるが、いつも燃料不足に陥り、投げ出す。習慣化された日々を変えるのはとても力のいる事だ。すぐに矯正されまた元に戻ってしまう。いわゆる三日坊主の状態がずっと続いている。どんなに傑作だろうと、未完であれば駄作にも劣る。完成させなければ意味がない。そんな未完の傑作達に囲まれて発芽しないまま地中で腐っている。

 『mixi』が廃れて、FC2ブログや小説投稿サイトなどを転々とし、『note』に至った。一度体験してしまった「イイネ」という他者の反応は、麻薬そのもので、承認欲求という快楽物質に侵された脳は僕に発信するという行為を諦めさせてくれなかった。

 また、文章を書くという行為には気持ちを整理する作用があると思う。日々の生活で発散できていない心の老廃物やまとまっていない考えなどを、文字というツールを使うことで代謝し、整理整頓する。その詳細を、機微を、表現するには語彙力が必要となり、言葉の組み合わせ方にも技術が必要になる。すなわち、思考力の強化にもつながると思っている。更に後に見返せるのもいい。ある時期の自分の考えを反芻できる機会は意外と少ない。

 だから、なんらかの文章を書くという行為は続けていきたいと思っている。上記のようにいろいろなプラットホームを利用させていただいて、この度『note』様にも登録させていただいた、自分にとって居心地がよい場所になると良いなと思っている。

 他サイトに掲載していた日記や物語などを、移管しつつ、更新していくことも続けられたらいいと思っている。でもきっとまた裏切られる、長い目で見ればいくら期間が空いても、次があれば続けていたと言えなくもない。それくらいの軽い気持ちの方が案外続いたりするのかもしれない。

 以上の考えを全世界に公開する必要なんてないのだけれど、そこには自己顕示欲と承認欲求が付きまとっている。文章を書くことが楽しいと思えたのは、誰かのイイネがあったからだ、この燃料の効果は絶大であらゆる活動にエネルギーを供給できる。使わない手はない。君もそう思うだろ?

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