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教育現場におけるオンライン学習支援への「違和感」

多くの教育機関で休校延長の判断が下されました。
3月中は春休み期間と重なることから、学習支援対策もそこまで切迫感がなかったようでしたが、新学期が始まり、各教育機関は本腰を据えた対応策を求められています。

私の勤務している中高一貫校も例外ではありません。
また、ネット上では教育関係者によるやりとりが盛んに行われています。

この機会に様々な対話が生まれ、私たちの役割について見直すきっかけになったことは素晴らしいことです。
ですが、この学習支援をめぐる動きについて「違和感」を覚えることがあります。

①称賛される「人気講師」
②公平性オバケにとり憑かれた人々

まず①について。
ネットやニュースでは様々な取り組みが紹介されています。また、自ら自身の実践をアップして紹介している方も多くいらっしゃいます。
どれも尊敬に値しますが、それらに対して称賛する声に「違和感」を覚えます。多くの内容は、その講師を讃えるもの、生徒たちを羨ましがるものです。私からすれば「できる教員ができる生徒を囲って実践できるのは当たり前」のように思えます。

それよりもコメント には出てこない声なき声に胸を痛めます。
その声とは、そういった支援を受けられない子どものたちや志はあっても個人では動けない教職員たちの劣等感のため息です。
輝かしい実践が限定された意味で称賛されるほど、叶わない人々は後ろ指をさされる思いで過ごしています。「あなたはやらないんですね」と言われている気持ちになるわけです。

GIGAスクール構想に「教育の技術革新は、多様な子供たちを誰一人取り残すことのない公正に個別最 適化された学びや創造性を育む学びにも寄与するもの」とあるように、ICTは教育格差を埋めるためのツールのはずです。
しかし、今のところギャップを埋めるどころか格差は広がっているように見受けられます。

実践者はその輝かしい実践をどのように組織的に広げられるかまで意識をして発信をして下さい。
受け手も多様な立場の子どもたちの代弁者であって下さい。


次に②について。
矛盾したようなことを言います。
現場では先進的に進めようとする教職員に対して全校生徒に同じ支援をできない、つまり公平性を担保できないから辞めさせようとする動きが見受けられます。
もちろん組織的に進めることは大切です。①でも書いたように少なくとも同じ教育機関に所属している子どもたちの中で格差が生まれないように調整すべきです。

ですが一方で、公平性オバケにとり憑かれた人々の足止めを食らって結局何もできない、という状況に「違和感」を感じます。
せっかく技術的にも、環境的にもできるのに横一線で進めなくてなならないために、できない。あるいは、先行して進めたことに対して批判される。そんな先生方の悔しさも痛いほどわかります。

今、足りないのは技術ではありません、対話です。
公平性オバケにとり憑かれた人々はできないのではありません。ほとんどは、「わたしが知らないところで話が進んでいる」ことへの嫉妬や寂しさです。その気持ちを鼻で笑うこともできます。ですが、人の気持ちを否定しても対話は生まれない。実践者は是非「一緒にやって、ワクワクしませんか」と声かけしてください。それが対話の始まりです。

教室でなくても学べる時代に、子どもたちと教室で学べる日がまた訪れますように。

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