ヒグチアイ「大航海」との出会いとこれからのわたし
ヒグチアイのアルバムがリリースされた。
その中の一曲目、「大航海」という曲。
その曲に出会えたことが人生の大きな分岐点になり、この出会いをこれから先長いこと大切にしていきたいと思っている。
心に優しく響くとかじゃなくて、
血生臭く、ガツンと、ヒリヒリと痛い。そういう曲。
その曲に出会ったときのことと今の気持ちを、ちょっと聞いてほしい。
「大航海」をはじめて聴いた日
はじめて聞いたのは去年、2023年12月10日東京FMホールだった。
このnoteで交換日記をしている友人の双葉ちゃんと、弾き語りライブに参加した。
個人的には二人でいつか聴きたいねと話していた「備忘録」を聞くことができてすごく嬉しかった。
背負わずとも背中を押す無数の手のひらというフレーズを、そのうちの大切なひとつだと思っている人と一緒に聞けたことが、本当に嬉しかった。
本編が終わりアンコール。
1月に出る新しいアルバムから一曲、と
「大航海」を歌ってくれた。
https://youtu.be/S3Oik7w5t1M?si=745q7QRMmax27cST
楽曲を聴いてからこの文章を読んでくれるとすごく嬉しい。
ピアノの弾き語りで熱く強く、音と言葉に魂が注がれて、わたしのもとに届いた。もう、ものすごい衝撃だった。
ガンガン響いて、響きすぎて、心が痛くて痛くてたまらない。床にはいつくばって泣くか、逃げ出すかしたいくらいだった。
それくらいに響いた。こんなのってあるか。こんな気持ちになれるのか。まだなれるのか。
訴えかける歌詞が私の恥ずかしいところを、情けないところを容赦なくブッ刺してきた。
感動に鈍感になっている
私がここ数年悩んでいたこと。
悩んでいるけど、見て見ぬふりをしてきたこと。
感動に鈍感になっている。
いつからだろう。
前に見て感動したライブDVDとか、
血のにじむような努力をしている人のドキュメンタリーとか、
見たいと思っていた映画のサブスク配信とか、
好きな作家の新刊とか、
面白いってわかってるラジオのタイムフリーとか。
「自分が絶対に感動する」「心が動かされる」とわかっているものであるほどに
向き合う時間を取ることができなくなっている自分がいる。心当たりある人もいるんじゃないかな。
そんな自分を感じるたびに、私は「花束みたいな恋をした」で、自己啓発本を読んでパズドラしかできなくなった菅田将暉演じる麦くんを思い出すんだ。
忙しい仕事に追われて、心を動かすことに疲れていく。
手軽に取り入れられるコンテンツに脳みそが慣れてしまう。
そんな自分が嫌だなあ、鈍感になっていくなという文章をインスタグラムに書いたのが2年前。
わたしはそこからなにも変わらず、なんならそこからさらに鈍感さは増している気がする。
日々、できないことを数えるのがしんどい。
そんな自分が嫌なことも心に引っかかっているけれど、開いた先に待っている煩わしさとか感情のぶつかり合いも、嫌。
ううん、嫌、じゃない。嫌未満の感情だ。
面倒くさい。
考えずに時間が過ぎた方が楽。
とりあえず見て見ぬふりをしてやり過ごす。
これ書きながら、もう一曲思い出した。
高橋優の”虹”
この曲もずっと聴いている曲なのに。
情けないな私は。本当に。
ヒグチアイとわたし どう生きていく?
高橋優がオープニング曲を歌う、というきっかけで「生きるとか死ぬとか父親とか」を見ていたとき(https://note.com/ka6925/n/n6c6a0b85a508?magazine_key=m95aaaa75c09c)
ヒグチアイが歌うエンディングテーマが頭から離れなくて、すぐにHMVに行って「日々凛々」というアルバムを買った。
そのアルバムに収録されている、「わたしはわたしのためのわたしでありたい」を聴いて、ヒグチアイを好きになったのは、あのときわたしが挫折の中にいたからだと思う。前職を辞めて、何を目指したらいいのかわからなくなっていたあのとき。
ヒグチアイの歌は、25歳のわたしが真っ暗な海に投げ出されて、泣きながら泳いで、たどり着いた場所なんだ。
自分や他人に降りかかる理不尽に腹を立ててどうにかしようと考えて声を出したい。
私の周りが暖かい世界に囲まれていればそれでいいと、そう思うにはまだ早い気がするから。
やりたいのにできないことを、悔しがる。
勇気を出して、自分の気持ちを伝えて、傷付くならしっかりと傷付く。
ちゃんと間違える。間違えて、正す。
はじめての場所に飛び込んで、うまく話せなくて、恥ずかしくなって、どうすればよかったか考える。
自分や他人に降りかかる理不尽には、腹を立てる。
自分の頭で考える。
インプットしてアウトプットする。
さらさらと目の前を流れていく景色を眺めるんじゃなくて、その中にあるなにかをひっかけて、つかんで離さない。
それをここで、言葉にする。
心を使う。守るんじゃなくて、剝き出しにする。
今の私はそんな気分なんだ。
その先で感動に出会える。
花の美しさに気づいて、言葉の持つ力に心を震わせて、好きな音楽に気づくことができる。
そうやって私は音楽に、エンタメに出会って来た。
おばあちゃんになっても、ラジオから流れる知らない曲に感動してCDを買いに走るわたしでいたいんだ。
年が明けて1月26日、川崎のタワーレコードで行われた
「未成線上」のリリースイベントに行った。
そこでも、ヒグチアイは大航海を歌ってくれた。
やっぱり喰らって、苦しくてたまらなかった。
イベント後、歌詞カードにサインをしてもらえるとのことだったので、「大航海」のページにサインを入れてもらった。
28歳のわたしが倒れそうなくらいに喰らって、悔しくて、痛かったことをこの先もこのページを見たら思い出したいな、と思う。
一緒にライブに行ってくれた双葉ちゃん
喰らって、痛くて痛くてたまらないのに、音楽でここまで喰らえた自分がいることが嬉しかった。
ライブが終了し、双葉ちゃんは椅子に座ったまま
「あの曲は、マルチェに歌ったと思った。マルチェが書いたインスタを思い出した」
と言ってくれた。
それってめちゃくちゃすごいことなんだと、今思う。
同じ歌を聴いて、私が書いた文章を思い出してくれるなんて本当に本当にすごいことなんだよな。
わたしは、自分の心の中にある薄い薄い、じーっと見つめなければ通り過ぎてしまう感情を、目を凝らして必死に言葉にして、合ってるかな、これで正しいのかなと思いながら文章に起こしている。
それを受け取ってくれる人が、確かにいるんだ。私には。
それがどれほど幸せで希少なことか。
その喜びが、もう2ヶ月経つけど、じわじわと心に染みている。ずっと。本当に幸せだ。
思えばここ数年ほとんどのライブは一人でチケットを取っていて、友人と参加するのは本当に久しぶりだった。
ライブが発表されたとき、双葉ちゃんとヒグチアイの歌を聴きたいと思った。二人で一緒にヒグチアイの歌を聴いて、お互いの心の内を言葉にしたいと思った。
ライブのあと、中目黒のもつ焼きやでビールを飲みながら、ずっとヒグチアイの音楽とわたしたちの人生の話をしていた。間違いなく最高の夜だった。
情けない自分に気付けた喜びを、ヒグチアイと友人への感謝を、ここに記しておく。
思い出せるようにね。忘れんなよ。絶対に。
漕ぎ出していく。
ハラハラして、痛くて、しんどい旅を
わたしは続けたいと今はまだ思える。
それでいいと思う。
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