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母と語る夢


「コロナが落ち着いたら沖縄に行こう」と母親と約束をしていた。


去年の4月。わたしのライフワークである音楽ライブは軒並み中止になった。
音楽の趣味がすこぶる合う母親とは、年に2.3回は一緒にライブに行っていた。
東京、名古屋、大阪。ライブがある場所を観光するのも楽しかった。離れて暮らしている母親がライブ帰り私の家に泊まって、家で一緒にご飯を食べるのも楽しかった。
しかし、それ故にライブ会場以外の場所に旅行することはなかった。こんなにライブに行かないことなんて今までなかったから、秋くらいの感染者数が減ったところで旅行に行こうと思っていた。
2020年はライブじゃなくて旅行の年になるね、と笑っていた。
その頃は、夏には落ち着くんだと日本中の人が信じていたと思う。


8月の第二波。旅行どころか永遠に母親に会えないのではないかと思った。
医療に従事している私と介護に従事している母親。
日々の生活も緊張が強かった。未だに8月は思い出すだけで涙ぐんでしまいそうになる。本当に壮絶な業務に追われていた。
旅行の話はしなくなった。お互い生きて会おうと励まし合った。


そして、2021年。
色々なことに疲弊し、私の中の色々なことが溢れてしまい、休職させてもらうことになった。
3月、抗原検査をして実家に帰った。
この期間、本当に母親に支えてもらった。

新幹線の駅まで迎えに来てくれた雨の日。母親は成城石井でカレーとキンパとサラダ、ケーキを買って手に持って待っていた。
何か聞くことはなく、よく来たね、と言ってくれた。
母の運転する車で自宅に向かった。あの時わたしは、大好きだったコブクロの曲さえ聴けないくらいに疲弊していた。それを感じたのかわからないけど、いつも母の車に流れている音楽はなく、代わりに静岡の街並みの変化を話してくれていた。

自宅で過ごす間、ただ存在するだけのわたしをずっと肯定してくれていた。頑張った、よくやったと励ましてくれた。

恥ずかしいから母親の前で泣くことはなかったけど、母の愛情を感じて布団で泣いたりはしていた。

兄弟も独立して父親が単身赴任中なので、自宅にいるのは母親だけだった。
わたしがご飯を作ったり母親がご飯を作ったり。母のパートが休みの日は、近所のスターバックスに行ったり、散歩をしたり。

母は、「あんたが来てくれて本当に本当に楽しい」と毎日言っていた。



そして休職を経て、退職の意思を決めた私は手続きのために横浜に戻ることになった。
静岡で過ごす最後の日、母の運転で近所にできたばかりのカフェでお茶して、神社にお参りして、辛いラーメンを食べた。本当に楽しかった。楽しくて楽しくて帰りたくなくて、「コメダに1時間だけ寄らない?」と聞いたけど、「これ以上食べたら胃がおかしくなる」と断られた。
最後の日の車ではコブクロが流れていた。母と大声で歌った。

新幹線の車内で結構泣いた。というか、母の車を降りた時点でこっそり泣いていた。
1ヶ月間、励ますわけでも、アドバイスをするわけでもなく、ただ一緒にいてくれた。
ただ存在しているだけの私を肯定してくれて、心から健康を願ってくれる母。今生の別れでは全くないけど、寂しくて涙が止まらなかった。
母との別れが寂しくて泣く25歳、、、、

実際横浜に戻ると、退職の手続きや引越しや挨拶など色々なことが押し寄せてきて、すぐに1人の生活に慣れたんだけども。


つい先日、母と電話した。
そういえば、去年の今頃は沖縄行こうって言ってたね。と。
すると母は
「本当はそんなに沖縄って興味ないんだよね。」
と、なかなか衝撃的な一言を放った。
いや、沖縄旅行誘った時テンション上がってたやん。

よく考えたら母は昔から北海道が大好きで、独身時代は10回も旅行に行ったと話していた。(母が好きな松山千春の出身地だから、そして母の大好きなドラマ、北の国からのロケ地だからということ。まじでこういうところ、血は争えないと思う。)

南国より北国が好きらしい。
しかし、瑠璃の島のロケ地、コブクロのここにしか咲かない花が生まれた場所に行こうって言ってたのに。
まあ私は1人でも行くつもりなので別に母と行かなくてもいいけど、どこかに2人で旅行に行きたいという想いはある。


そこで私は、あるマンガの一場面を思い出した。
母親を亡くしたある姉妹が、オーロラを見に行く場面。生前母が見たがっていたが叶わなかったオーロラを見て、2人で後悔を話していた。

母も以前、北欧に行ってみたいと口にしていたことがあった。
そして私は小さい頃からリンドグレーンの著書が大好きで、やかまし村やごたごた荘が生まれたスウェーデンに一度行ってみたいと思っていた。

それを母に伝えると、「いいね!行こう!」と二つ返事。月にこれくらい貯金すれば2年くらいで旅費が貯まる計算だね、その頃には海外行けるよね、と2人で声が弾んだ。




話は変わるが、私はこの10年ほど助産師になることを夢として生きていた。
就職してからもずっと、いい助産師になろうと思い、強くあろうとして、結果的に崩れてしまった。
そしていま、やりたいことや目標とするものがわからずにいる。


でも、ひとまず今の夢は2年後に母とスウェーデンに行くこと。
夢ができた。本当に嬉しい。
そのために働いていこうとおもう。
自己実現とか、将来設計とかはちょっと置いておいて、肩の力を抜いて考える。

今年還暦を迎える母、2人でスウェーデンに行く日まで本当に本当に元気にいてほしい。


今日の一曲

馬場俊英(collaboration with玉城千春)
/ありがとうをあなたに

連日トレーラーで申し訳ないですが、1:18から少し聴けます。わたしは基本的に音楽はCDを取り込んでプレイヤーで聴いていますので、紹介する中にサブスクにない曲も多いです。。最近、今日の一曲コーナー、「今日の馬場俊英ソング」みたいになってますね。馬場さんばっかり聴いているんです。

大きな愛は今も憧れ
いつの日にか あなたのように
大きな腕の中で抱かれて
果てなく未来を 夢見てた
持ちきれないほどのありがとう
あなたに ありがとう
どれだけ時が流れても
あなたの子供でいさせて






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