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青い卵と

思いのまま行きたいところに行ったり、会いたい人に会えないことよりも、それが我が身だけでなく世界中の人に等しく降り注いでいることこそが"いま"を覆う非日常性、馴染みのない空気である。

優しくて偉ぶらないのに博識でいつもおもしろい話でみんなを笑わせるのが得意な人でも、気さくさも持ち合わせた美人でも、美味しくて全然予約が取れないお店に人を連れて行くのが何よりの愉しみな、かといって鼻持ちならない威張り屋というわけでもない人も、みんな今は思うように出かけられず、会いたい人に会えない。

一日は二十四時間、みんないつかは死ぬ、

そのふたつ以外に平等なことなんてないと思っていた。

等しく平等ではない、その点においてのみ平等をゆるされた私たちは、それぞれのサイズで、それぞれのトーンで悩み、考え、うまくいったりいかなかったりしていたはずなのに、目に見えないものとの終わりの見えない戦いによって、等しく無力を感じさせられ、等しく限られた。

生きてる間にこんな日々が訪れるとは思っていなかった。

この日々がもたらしたものって、何だったのかな、

きっと多くの方がそうであるように、私もそのことについてふと考えたりしている。

売れてると評判のナイトブラを購入し、

週に二度のスクラブを導入し、

脂肪燃焼スープを作り、

炊飯器でケーキを焼き、

朝ランや筋トレをし、

反動でケーキやチョコを食べすぎて後悔し、

ドラマの一気見をし、

カラオケで歌いたい曲を集めたプレイリストを作り、

風呂で歌い、

自分を見つめなおし、

部屋を片付けては写真を眺め、

人に言えないような検索をしたり、

食事の度に、台所に立ち、料理をしたりしている。

snsやテレビで散々目にした「過ごし方」や「今だからこそ」の、ランキングをなぞるように様々なものに手を伸ばした。

なんだかいつになく"等しく"なってしまっている気がする。別に悪いことでもないのだろうが、もとが天の邪鬼なせいか、どうにも落ち着かない。

今朝は卵かけごはんを食べた。

お裾分けしていただいたちょっと珍しい卵で、殻がうっすらと青味がかっている。横須賀の安田養鶏場というところで飼育・販売をされており「幸せの青い卵」と呼ばれているらしい。

幸せの、青い卵。

年甲斐もなく、とか、いやいやまたまた、とかの悪しき哀しき前置きなく、ただ咄嗟にいいなァ、と思った。呑気なおじさんのようにつぶやいた(おばさんは、大抵あまりのんきじゃない)。慮ったり、人に合わせたりすることなく自分の機嫌だけをとって暮らしていると、人は素直になるのかもしれない。

お裾分けの主から、卵かけごはんの画像が送られてきた。おかかと、塩昆布と、岩海苔が美しくトッピングされている。意外と几帳面な性質と、食べ物を美味しく食べることの大切さがすみずみまで染み渡ったまっすぐな心根がうかがえる。曰くお母さんがたいへんに料理が上手な方で、子供の頃から美味しい料理を毎日食べて育ったそう。家篭りの時間が増えてからは、自宅仕事の合間にお母さんの味を思い出しながらコロッケを作ったり(だいたい同じにできたそう)もした、と少し前に教えてくれた。

人はいくつになってもその人を育んだ空気をまとっていて、それは時により折にふれベールのように薄くなったり、毛布のように分厚くなったりと形を変えているように思う。そして私は、予期せぬタイミングで分厚くなったり、離れていても分厚さを感じたり、そんな様を眺めたり気配を感じたりするのが好きなんだな、とちいさな画面越しのお茶碗を見つめながら自分の胸の内も覗き込んだ。

さて、こちらの茶碗の中身はと言うと白いごはん(これもいただきものの、夢ぴりか)にお醤油をひとたらしした卵液が拡がっているだけ。せめてもの、でかたわらに助手のように小皿に載せた梅干しを添えた。(ピノコのように)

「いただきます!」

「弾力があるね」

「うん」

「黄身、味が濃い」

「そうそう」

「おいしいね」

「おいしい」

ひとくち食べては感想を指で打って送りあううち、いつもより多めによそったご飯はすぐに空になった。夢中になって食べすぎて、ここ最近でいちばん丁寧に煎れたお茶は飲むのを忘れていた。

生きてる間にこんなことが起こるとは思っていなかった。

卵かけごはんを、それぞれの場所で食べることでこんなにも満たされた気持ちになるなんて、知らなかった。

青い卵、ほんとうに幸せを運んでくれた。すごい。

この手ざわりを忘れないように、と繰り返し確かめたり、凪いだ心を満喫したりしてるうちに眠ってもないのに時間は溶けて、夕方5時のチャイムが鳴る頃にようやく茶碗を手に立ち上がり、こびりついた卵液を用心深く落とした。

今日は一日、ほとんど何もしなかった。

だけど

人と繋がるってどういうこと?の向こう側にある砂嵐のようなカーテンに少しだけ触れた。それを眺めた。

このささやかな感触をどうか忘れませんように。

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