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vol.86 三浦哲郎「忍ぶ川」を読んで

ずっと、新潮文庫100選を基本に読書をしている。三浦哲郎を初めて読んだ。1960年に発表されたこの作品は、翌年に芥川賞を受賞していた。

描かれた時代は、まだ戦禍が残る1950年ころだと思う。兄姉の自殺や失踪にも力強く生き抜こうとしている「私」と、娼家の生まれで、神社のお堂に住んでいる病弱な父を見舞う、薄幸の「志乃」とのピュアな恋の物語。

この作品をどう読むか、少し迷う。ふたつの視点を持った。

ひとつは、戦後の貧困や理不尽の中で、あえぎながらも、けなげに生き抜く若い男女の恋物語として読む。つまらない。よくある話だ。清く貧しく美しくを誇らしげに語る作品は、どこかうさんくさい。

一方、「志乃」という女性に想いを寄せて読む。これは楽しい。短編なのでもう一度読む。

哀しい宿命を負いながらも、りりしく清楚でたくましい娘「志乃」に魅せられた。会話や動作のすみずみから漂ってくるものから、身近にいたらきっと、「この人といっしょになりたい」と思わせる女性だと思った。

ここにいる「志乃」の言動こそが、もう懐かしくなった日本人の大切なこころだとも思った。

いいなぁと思うシーンがいくつかある。

「私」が「志乃」をつれて、深川の木場と洲崎へ行ったシーンはよかった。白い日傘のあいあい傘の二人は、それぞれの負の過去を語っていた。「私」は卑屈のままだけど、「志乃」は素直だった。会話から、お互いを思いやる優しさを感じた。こんなデートがしてみたいと思った。

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そして、「私」と「志乃」が式を挙げた夜、初めて同じ部屋で過ごすシーンは、本当に心があたたまった。

「『雪国ではね、寝るとき、なんにも着ないんだよ。生まれた時のままで寝るんだ。その方が、寝巻なんか着るよりずっとあたたかいんだよ。』私は素裸になって蒲団にもぐった。志乃は・・・『あたしも、寝巻を着ちゃ、いけませんの?』『ああ、いけないさ。あんたも、もう雪国の人なんだから。』志乃はだまって、暗闇のなかに衣ずれの音をさせた。しばらくして、『ごめんなさい。』ほの白い影がするりと私の横にすべりこんだ。私は、はじめて、志乃を抱いた。」(p57)

このシーンはとても印象的だった。

それぞれに、辛く哀しい過去を持ちながら、けなげに生きようとする二人がいる。いっしょになった夜、初めて人の温もりを感じることができた瞬間だと思った。

そして物語の最後は、新婚旅行の汽車から「あたしのうち」を「志乃」が見つけるシーンで終わる。生まれて20年、家らしい家に住んだことのない「志乃」にとって、やっと探し当てた「自分の家」。それを見つけた「志乃」の喜びを想像した。

これからの「志乃」さんの人生、戦後の混沌とした社会の中でも、「志乃」さんのままに生き抜いてほしいと思った。

書かれた作品の時代背景を考慮し、作者の意図や表現を批評する読書も楽しいが、登場人物に一方的に肩入れしながら読むのも、また楽しい。

小説の中の「志乃」さんに会いたい。

おわり


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