クレバーに生きる(2021.2.7)
これも、とある人と話していて、思っていたこと。
20代も後半に差し掛かり、コロナ禍に突入し、自分に何があるのか、
何が出来るのか、何を遺すのか、考えこむ機会が多くなってきた。
周りの人にはそれでも楽しそうな人もいるが、少なくとも僕は身動きが取れない状況になった。
そんな時に言われる、「好きなことをやれ」という言葉。
これ、めっちゃ飛びつきたくなるやつなのだ。
確かに、縛られるものもないし、「好きなこと」をやってる自分は好きだ。
輝いているとも思う。
しかし、これ、好きなこと「だけ」をやれと言っているわけじゃないのだ。
好きなことだけをやって稼げる、人ももちろんいるが、
能力や運、環境やほかの人、など、味方がたくさん必要だ。
それを度外視して好きなことに没頭することは、はっきりと言ってリスキーである。
「生活」が、立ちいかなくなる。
表現者の界隈にいる僕は、
そういう好きなこと「だけ」をやっている人間に出会うこともあり、
うらやましく思うこともあった。
それでもそういう人はやっぱりねじが一本外れていたりして、
多くの場合、その人の「生活」や「健康」にそのしわ寄せがいくようになっていた。
とてもじゃないが、持続可能な生き方とは言えないように思えた。
そもそも、「好きなことだけをやれ」というメッセージを発して、
得をしているのはだれなのだろう?
好きなことをやることを念頭にフリーターになったり、一生給料の上がらない職種について好きなことだから、と我慢したり。
もちろん、人にはそれぞれ事情がある。その人の行為主体性を無視してはいけないと思う。
でも、そんなメッセージを、成金の経営者がのたまっているのを見て、
反吐が出る気持ちである。
多くの人は、僕も含めて、「好きなこと」をやるために、
「生活」を成り立たせないといけない。
「生活」をしっかりとさせることが、「好きなこと」を楽しくやる、必要条件な気がしている。
「好きなこと」をできる人を増やす、そんな社会を作るなら、なおさら、自分に余裕があった方がいい。
だから、僕は「好きなこと」をやるために、「嫌いじゃないこと」をやりながら「生活」を成り立たせるくらいの気持ちで行こうと思っている。
嫌いじゃないことを「こなす」ことも、もちろん労力がいることだし、難しい。
だから、「好きなこと」を続けるためには、「嫌いじゃないこと」を早めに終わらせる知恵も必要だな。
賢く生きてやろう。
いやしかし、給料安いんだけどな。
ゾ