銭愛

 紅白歌合戦が終わった。咲良はしばらくテレビをザッピングしているうちに新年を迎えた。

去年の紅白は貴仁と一緒に見たんだっけ。去年の年末の様子をぼんやりと思い浮かべながら、残りのワインに口をつけた。2ヶ月前に入籍したばかりの彼は、壁1枚隔てた寝室でぐっすり寝ているはずだ。眠剤を飲ませた時間からして、朝まで目を覚ますことはないだろう。そして彼と来年の紅白を一緒に見ることは確実に《ない》のだ。

「さて、と。」テレビを消すと、そのままリビングでノートパソコンを立ち上げ、メールを確認しFacebookを開いた。年末年始に更新する人はほとんどいなかった。一旦FBの画面を閉じ、今日から始まる新たな計画について思いを馳せた。

今日1月1日から新しい「あたし」になる。

咲良は、新しく手に入れた姓でFacebookの新しいアカウントの作成を始めた。

渡嘉敷咲良。これがあたしの新しい名前。貴仁が亡くなった暁にはこの名前でお目見えするのだ。「主人が亡くなりまして。」っていうのは誰から連絡しようかな。とりあえず弁護士は先に呼んでおかなければ、などと色々考えているうちにもう4時だ。切り上げて、続きはまた明日にでもやろうっと。パソコンを閉じるとリビングでそのまま横になった。

貴仁と出会ったのは2年前のクリスマス。当時、あたしはイタリアで5歳年下のイタリア人のロベルトと結婚生活を送っていた。ロベルトとは、5年前に最初の夫と新婚旅行で訪れたローマで出会った。「出会ってしまった」と言ったほうが正確かもしれない。帰国後、やはりロベルトの事が忘れられず離婚。その後イタリアと日本で遠距離恋愛の末翌年結婚し、あたしはイタリアに移住した。

好きで結婚したものの、イタリア語は上達せず、意思の疎通は簡単な英語のみ。意思の疎通がうまくいかないことや習慣の違う夫の家族との同居にストレスは溜まるばかり。都会で育ったあたしには、片田舎でまったく刺激のない生活に飽き飽きしていた。おまけに夫はまだ貧乏学生。あたしは息抜きと自由に使えるお金が必要で、1年のうち数ヶ月、日本に出稼ぎに帰っていた。何の仕事か、って?表向きネイリストということにしていたが、実のところはデートクラブだ。

2年前の年末もそうだった。妹が出産する、というのでそれに合わせて仕事を入れ、夫も一緒に帰国することにした。もちろん表向き妹を手伝うため。仕事を入れているのは内緒だ。彼より先に帰国し、仕事につき疑われないよう準備しながら彼を待つ。クリスマスプレゼントも用意して。

年末に仕事は入れていたものの、クリスマスはふたりきりで過ごす予定だった。しかし、以前から「日本に帰国したら是非会いたい」とFacebookで友達申請していた、とある関西の超有名人のパーティに急遽参加できることになった。あたしがあまりにもしつこいので、彼が「今日ならええよ」と押し切られる形で。

その超有名人こそ今の夫、貴仁である。

パーティに抜け出すため、口実を色々と考えておかねばならなかった。しかし咲良にとってはラッキーなことに、ロベルトは日本に着くと風邪を引いたため、薬や食料の調達を口実にホテルを抜け出すことができた。

酒の席でのオッサンの扱いなんて、赤子の手をひねるようなもの。貴仁と連絡先を交換し、後日「タクシー代のお釣りを返したい」と家へ行き、難なく上がらせてもらう。このところ具合があまり良くなくて病院に検査に行った、と言う彼にオイルマッサージを施して眠りにつくまで側にいた。

さて、これからどう取り入るか。まずは夫をイタリアに帰し、父の病気の看病をするから当分戻れない、ということにしておかねば。それから貴仁を落とす準備をしないと、ね。

あたしの行動は早かった。貴仁の家の近くにアパートを借り、足繁く通った。そうこうしているうちに、貴仁の検査結果が思わしくなく入院することが決まったため、付き人として雇われることになった。履歴書を用意するよう言われたけれど「あたしのことがそんなに信用できないんですか?!」と結局そのまま押し切ったのだった。

病院は完全看護だった。それ故、身の回りの世話は洗濯以外に殆どすることはなかったが、毎日通って看護日誌をつけていた。




(続く。これはフィクションです。)


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