わさびさんの書棚 第1冊『詭弁論理学 改版』

はじめに

こんにちは。将棋系Vtuber 葛山わさびです。

普段はYoutubeやTwitterで将棋の話をしているのですが、最近は暑さやもろもろの事情でほとんど配信活動ができていなかったりTwitterがTwitterでなくなったりと、外界に翻弄されっぱなしです。

唐突なうえに夏真っ盛りの今になって言うことでもないのですが、今年は読書の量、体験を見える形で積んでいきたい…!という思いで日々過ごしておりまして、読んだ本は適宜ブクログの本棚に収めています。
ちょっと雑然としていてお見せするのは恥ずかしいのですが、興味が湧いたら眺めてみてください…

その中で気の向いたもの、響いたものに関する感想、覚え書きなどを不定期にnoteに置いていきます。
個人的な興味、人からおすすめいただいた本などきっかけは様々に、将棋に関するものに限らず書いていく予定です。続けば。

記念すべき、というか最初で最後になるかもしれない題材は
『詭弁論理学 改版』 です。

葛山わさび(肉)の誕生月ということで公開したほしいものリストからいただいた書籍です。ありがとうございます!
送ってくださったのは学問分野をメインに活動するVtuberのUnferthさん。

本書をほしいものリストに入れておいたのはブクログのランキングを眺めているうちにタイトルを見て惹かれたところが大きく、そもそもブクログを始めたのもうんふぇにきの勧めによるものなので、わたしの読書体験への寄与ははかり知れぬものがあります。感謝!

著者の野崎昭弘氏は、情報科学、論理学の分野で知られている学者(情報処理学会フェロー)で著書・訳書多数。
そちらのほうはわたしは門外Vですので細かいことは申し上げられませんが、将棋民として注目の一冊は『ロジカルな将棋入門』(1990)!

将棋論理の権化を自認するVtuberとしてはこれはタイトル買いの一手、幸いにも古書通販に在庫があって確保できました。まだ到着していないですが読むのが楽しみです。
『ロジカルな必死200』もこれへのリスペクトがあったりしたら面白いですね(妄想)。野島氏も金子タカシ氏も東大出身ということですし、案外ない線ではないのかも…妄想ですが。

詭弁論理学とはなんなのか

『詭弁論理学』という堅い書名、著者の経歴から、論理学の硬派な本、たとえば論理記号を扱って広く知られる詭弁やパラドックスを紐解くような…を想起するのは無理もないところですが、(そういう記述も多少ありますが)本書はそうではありません。むしろ、そういった話がどうも受け付けない、というような方にこそ手にとってほしい一冊です。
詭弁論理学という学問分野があるわけではなく、本書の目指すところは、「論理のあそびをじっくり味わう」こと。
人を言い負かすための手口として強弁と詭弁を取りあげ、その正体を観察することで言い負かし術に立ち向かう、あるいはそれを楽しむゆとりを持つことが主題です。
本書の初版は1976年、インターネットもSNSもレスバトルもなかった頃です。例として古くなっている部分はありますが、むしろ皆が意見を発信する力を持ち、ときにぶつかり、あるいは言い負かそうと、言いくるめて利用しようとする今の世で暮らす私たちにこそ、本書をおすすめしたいと思います。
「(強弁、詭弁を用いて)レスバトルに勝てるようになること」が本書の目的ではありません。重要です。
レスバトル、その他さまざまに人を言いくるめようとする強弁、詭弁の手口を「ああ、これは今無理を通そうとしているんだな」と認知できるようになること、そして議論を楽しめるようになることが読者に期待されています。これは強弁、詭弁への自衛だけでなく、自身が(意識的/無意識的かかわらず)そういう手法を用いないよう自省することにもつながります。

誰しも知らず知らずのうちに強弁や詭弁、レスバトルの手法を使っているかもしれません。
あるいは、そういう雰囲気を少しでも感じたらすぐに会話を打ち切る、そういう人から遠ざかる…というようにしている人もいるかもしれません。
それらは別に悪いことではないのですが、本書を通じて強弁、詭弁の手法に対して「自覚的になる、観察・認知する」ことでよりよく振る舞えるのではないでしょうか、とはわたしの思うところです。

本書が所期の目的にかなっているかどうか、もとより私にはわからないが、ただ強弁をふるうための「ハウツーもの」として利用されないことだけは、著者として希望している。

野崎昭弘『詭弁論理学 改版』(2017,中公新書)はしがき pⅱ,より
以下、出典はすべて同書による。

自覚的に強弁、詭弁を使うことだけでなく、知らないがゆえにその被害を受けること、無意識的に用いて「レスバ強豪」として煙たがられること、そういう要素のある人を過度に避けて人間関係が乏しくなること…などを避ける功があればよいな、と思います。

強弁術と詭弁術の手法、対策


強弁は自分の言いたいことを強く押しつけること、詭弁はなんとなくそのように思い込ませて信じさせること、と思っておきましょう。
そしてそれぞれに様々な手口があるわけです。
本書の構成は、第Ⅰ章「議論の種々相」で議論がうまい/強いこととその手法としての強弁、詭弁を提示し、Ⅱ章「強弁術」とⅢ章「詭弁術」でそれぞれの手法を取りあげるものです。
「詭弁論理学」という書名とこの「術」の使い方からは、議論で相手を言い負かす手段としての強弁、詭弁を学び観察することで得た知見を、自分が議論で勝つためではなく、議論や言葉をより高い解像度をもって捉え楽しむため活用すべし、という著者の意志を受け取れるように、わたしは感じました。
ということで、ここでは本書で取りあげられたそれぞれの手口と対策を簡潔に列挙して、詳細は実際に読んでみてね、ということにしたいと思います。

強弁術の手法
・権威(伝説、権力、身分)を用いた強化、開き直り
・小児型強弁
・二分法
・相殺法

各手法の詳細はここでは書きませんが、なんとな~くイメージがつくのではないかと思います。
こうした手練手管を使って、ときに本題と関係ない部分で相手を攻撃してでも、とにかく自分の意見を声高に押し通すのが強弁術です。

強弁術の要諦を格言ふうにまとめると、次のようになるであろう。
(1)   相手のいうことを聞くな。
(2)   自分の主張に確信を持て。
(3)   逆らう者は悪魔である(レッテルを利用せよ。)
(4)   自分のいいたいことは繰り返せ。
(5)   おどし、泣き、またはしゃべりまくること。

『詭弁論理学』p55より引用

はい。
これらを手法として自覚、認知することがひとつの対策となるとともに、「自分がこういう手法を使っていないか」は自省すべきところでしょう。思い当たる節、ある方もいるのではないでしょうか。
こうして列挙したものを見て、たまにやってるな…と思ったらまだ大丈夫。自分が間違っているかも、という発想、度量を持てるかが分かれ道です。
ほかにもいくつか対策、有力なスタンスが紹介されていますので興味を持たれましたらぜひ一読を。

詭弁術の手法
・二分法
・相殺法
・あてにならない話
・論点のすりかえ
・主張の言いかえ
・消去法
・ドミノ理論

強弁と比べると詳細の想像がつきにくいかもしれませんが、詭弁というものが持つややこしさのせいかもしれませんね。
個人的には、あてにならない話とはどういうものか、や三段論法の使い方を(意識的に)誤って,当初と違う意見へ言い換えて通す…という手法を知覚できたのが役立ちそうだな~と。

詭弁術への対策
・健全な常識、判断力を持つ
まちがった論理の使い方からは、言ってしまえば好きな結論を出せます。
途中の展開が正しい(と思い込んでいる)から結論も正しい、とは思わず、結論そのものが突拍子のないものでないか確かめるべし、ですね。
明らかにおかしいことを言っているならば、反論としては、そんな無茶なことにはついていけません、で足りるのです。
・言葉の意味を明確にせよ(言語の定義、全称か特称かなど)
「どういう意味で使ってますか?」や、途中で意味がすりかわることに留意しましょう。「人生とは」「絶対」「(特定の属性)は~」などのレスバ語的に強くてデカい言葉、全体と部分の混同などには特に注意です。

文中でまとめられた、詭弁術に押されない、気づかず詭弁を用いないための心構えはこちら。

正しい議論のための原則
【原則1】無理やり説得しようとするな。
【原則2】時間を惜しむな、打ち切るのを惜しむな。
【原則3】結論の吟味を忘れるな。
【原則4】「わからない」ことを恥じるな。

『詭弁論理学 改版』p131-132より抜粋

詭弁の手法はさまざまに分かれていてすべてを知って対策しようとするのは難しいうえ、質の悪いのは「こちらにそう信じさせようと働きかけてくる」部分です。ときに言っているほうも詭弁に陥っていることを自覚しないまま、信じ込んだ自説をもって説得してくるのでなかなか大変です。そういう人を相手に同じ土俵で説得を試みるのは、徒労となることも多い。
まともに取り合う部分とそうでない部分を切り分ける、そしてそれを切り分けていい(むしろ切り分けるべき)ということを知っておくだけでも、無用な議論、無用な疲れは相当に減らせるのではないでしょうか。
まず詭弁を知って、必要に応じて詭弁を相手にしない。そのほか様々な対策、実際の運用上役立つ対応も紹介されているのでぜひ。
…たとえば、詭弁に陥ってこちらの話に取り合わない仕事相手なんかがいたとして、埒が明かないとみたら話の分かる上司のほうに行く、なんていうのは納得しやすいのではないでしょうか。

論理パズル

Ⅳ章「論理のあそび」では、論理やことばを題材としたパズルをいくつか取りあげていますが、これはまあ、具体例というか発展した考え方と思ってしまいましょう。理論編の話をした後の実践編、戦術書の章末についてくる次の一手の問題に相当するものです。
「帽子の色問題」「死刑囚のパラドックス」「~と聞いたら『はい』と答えますか」など、聞き覚えのある方も多いかと思います。
わたしは…そこそこわかった(知ってた)ぐらいです!論理値の話などはちょっと理解が追いついてない部分があるのでまた読みます。
できるか、というよりもこういう話へのアレルギーをなくす、楽しむ姿勢を持つ、のが本旨ですね。
解説はかなり詳細になされていますので、興味を持たれた方は読んでみてください!

読了して

たいへん勉強になりました。
小難しくもユーモラスなタイトルにつられてほしいもに突っ込んでおいたというのが正直なところで、実際に手にしたときは挫折したらどーしよ…という感じだったのですが、思った以上に実践的、時代を経てむしろより読者へ役立つ内容になっていると感じられ、終始楽しく読み進められました。。
わたしはそんなに学のあるほうでもないのですが、世間一般の標準よりはことば、論理への感度が高い方かな?とも自認していました。
そこの正否は置いておきますが、本書を通じて議論、ことばを扱ううえでの手法としての強弁、詭弁を学びや観察の対象として詳解されたことは、今後のINTERNET…を暮らす上でなかなか大きな財産になったと思っています。
電子の海には詭弁強弁レスバマウントレッテル張り、その他諸々のまともに相手するにはだり~言葉たちが溢れかえっていますが、こういう手法、やり方がある、という視点を持てたことでそれらに向き合いやすくなると期待しています。
わからないものへの恐怖、得体の知れない、理解しがたいことを言ってくる相手と関わる疲れというものを、(自分が当事者でなくとも)INTERNET…での仁義なきCOMMUNICATION…の中で感じることがあるならば、本書がひとつの助けとなる公算は大きいかと思います。

本当に何度も何度も繰り返して申しますが、本書は「強弁や詭弁を用いて議論に勝つ」ことを目指す、読者に期待するものではありません。
これ自体もはや月並みな感想ですが、初版が出版された1976年から時代が変わり、広く意見を発信し、時に後悔の場で議論を戦わせることは学者やマスメディア、それらに認められた論客だけの特権ではなくなりました。
誰もが発信し誰とでも話し、ときに意見を戦わせる状況が一般化するうちに、いわゆるスラム街の作法だったレスバトルの様式、それが強いヤツを持て囃す風潮が表のメディアに逆流する様相すら見えるようになりました。
まったく嘆かわしい、けしからん事よ…と断じてしまうことは簡単なのですが、それはまた別の二分法やレッテル張りにとらわれるリスクを孕みますし、わたしはそういう立場を取りません、とだけ。
知ることで恐れやリスクをやわらげ、ことばを、議論を楽しむゆとりを持つ。知ったことは自分、関わる人が健全に暮らすために活用して、分を超えた大張りはしない。そんな感じでいいんじゃないかな~と思います。

長々と書いたわりに大したことは言えてないのですが、とにもかくにも賢く平和におもしろく、穏やかに今後も過ごしていく所存でありますし、このnoteを読んだ/わたしと普段かかわる方々もそうであればこれに勝ることもありません。

よかったらチャンネル登録と『詭弁論理学』の購入おねがいします!!!!

現状はどちらもわたしには一銭も入りませんが、気持ちの上ではちょっと嬉しくなります。
ではでは、今後もこうした本のこと、将棋のことなどたまに書くとともに、Youtubeのほうもぼちぼちがんばっていこうと思いますので、気が向いたときに見に来てもらえればと思います。
最後まで読んでいただきましてありがとうございます、ではまたいずれ!


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