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或る、別れ

思うに、私たちには顔がなかったんじゃないかな。

君が私を見るとき、なんだかのっぺらぼうみたいだな、なんて思ったこともあったんだよ。つるんとしていて、唇だけ赤くてぬるぬる動いて、その蠕動から目が離せなくなって、やっと解放されたと思ったら眼窩にはよく磨かれた眼球サイズのパチンコ玉が埋まっていたんだんだ。その中の魚眼レンズで歪んで、誇張された私の右目が、こっち側の私を食い入るように見ているのがとても怖かった。

それでもぬるぬるの唇は私が欲しくてたまらなかった言葉を次々に吐き出してくれたから、君がのっぺらぼうだったことなんですっかり忘れてしまったんだよ。


 私たちの日々はいろんな媒体の「物語」に囲まれていたよね。同じ宇宙を漂って、同じ機体に乗って戦場を駆けて、同じようにお腹を抱えて笑って。しきりのお互いの顔を覗き込んでは、ぬるぬる動く真っ赤な唇が微笑むみたいに歪んでいるのを確かめて安心して。時には手を握って、お互いが同じ温度であることを確認した。いや違うかな、私は同じでいようとしていたのかも、君の手か冷えていることに気づかないふりをして、擦ったり揉んだりして、同じところ引き揚げようをしていた。

君のことはわからないけど、私がどうして同じであることに必死だったのか、今になってわかるんだよ。私は私のそれまでの物語を肯定したかったんだ。うまくいかなかった自分を愛したかったんだ。だから、私がよく映る君の目と、上手な言葉溢す君の唇が必要だったの。

少し廃れてしまった温泉地のホテルで、大きな姿見鏡の前で素っ裸で抱き合ったのを覚えてるかな。そこで凹凸ぴったりにはまった君と私の輪郭が今でも鮮明に覚えているんだよ。その時の戦慄を、私は一生忘れられないと思う。君の鏡みたいな目玉に映る私の右目が涙で潤んで、とても幸せそうだったから。最低だね、私はそこで君と抱き合ったふりをして、私自身と愛し合っていたんだから。それで、私はやっと自分自身を和解することができたんだ。全部君のおかげだよ。ありがとう。

でも、それから、私はどうすればよかったんだろう。君と出かけたショッピングモールのお手洗いでふと見た鏡に映った私の顔が、のっぺらぼうになっていたんだよ。でもあれだね、目玉があるんだから、正確にはのっぺらぼうとは違うね。何だろう、そう、固有名詞を失ってしまったみたい。紙袋を被らされて、三点、穴ぼこ空けられて、目玉ふたつと唇だけ埋め込まれているみたいだった。

お手洗いから出て、本屋さんで立ち読みする君を呼んだ。振り向いた君も同じように紙袋を被っていた。ねえ、どれだけ滑稽だっただろう。紙袋を被った、誰でもない二人が寄り添って手を繋いで、真っ赤な唇だけぬらぬら動かしている姿は。

お互いのことを見ようとすればするほど、合わせ鏡の無間の中を延々と泳いでいく虚しさを味わうんだから、次第に目を合わせられなくなってしまった。手を繋いでも、空を掴んでいるようだった。触覚を失ってしまったみたいに。


だからね、これですべてよかったんだと思う。私、もう紙袋を被っていないの。自分の顔もはっきりわかるし、ひとりでも自分自身を愛してあげられてるの。君の目の魚眼レンズにいる私も、とっても優しい顔をしてる。

それでも、私にはわからないの。

どうして君の目玉は誰かを映す鏡で、真っ赤でぬるぬる動く唇は上手に優しい言葉を使えるんだろう。君はそうやって私のような人をたくさん救ってきたのだと思う。彼女たちが自分自身と抱き合えるように手伝ってくれてたんだと思う。

でも、それで君はどうしたかったのかな。君は相変わらず、紙袋をすっぽり被っているね。その中はどうなってる?くしゃっとしたら本当の君の輪郭に触れることができる?

それとも、ふしゅっと空気が抜けて、跡形もなく消えてしまうのかな?

君にどんなに大きく手を広げても足りないくらいの感謝を込めて、私は祈るよ。君の紙袋が無尽蔵の愛を抱えた優しい大きな手に暴かれるその時を。

さようなら。


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