見出し画像

2020年振り返り — 分からなさを分かるための本10冊まとめ


2020年に出会えて良かったと思う本を、10冊挙げてみました。

自分は普段デザインを仕事としていますが、すべてデザインの「デ」の字も出てこない10冊です。ただこうしてまとめてみると「人のしれなさ」をより知ることだったり、「世界の分からなさ」をより知ることだったり、「分からなさを分かるための10冊」みたいなテーマ設定が出来るなと思いました。
振り返るとあまりに分からなすぎる事に直面してしまったこの1年は、よりデザイン「以前」の骨や血に相当する部分を求める傾向があったのだろうとも思います。

『手の倫理』 伊藤亜紗

「ふれる」と「さわる」。
一見同じ意味の言葉のように見えるし、そこにこだわる必要がどこにある?と始めは思ってしまう。
でも例えば、愛する人に「ふれる」と、女性の体に「さわる」、だとどうだろう?意味も感じ方も、全く異なってくる。
つまり問題は「触り方」の方にある。もっと言うと、触り方とは「親密さ」にも「暴力」にも通じるバランスの危うさがある。そしてそれは例えば「人に対しケアするとは何か?」のような本質的な問いにもつながってくる。
だからこそ僕らは、人へのふれ方/さわり方、もっと言えば「人との関わり方」には、これで本当に良いのだろうか?といつも自問しながら、その時々でより創造的な選択肢を求めて進む必要がある。つまり「手の倫理」が求められている、という気づきに目覚める本。
結果的にほぼ全ページに付箋が付き、付箋の意味をなさない状態になってしまった。
人と人との距離感が大きく変わってしまった2020年以降、一番大事なことが書かれている本だと感じた。


『ある一生』 ローベルト・ゼーターラー

描かれている人物は決して「目を引く特別さ」があるわけでも、その人生で「大きなドラマ」が起きるわけでもない。ただ素朴で孤独な名もない男の一生が淡々と描かれているだけの小さな物語。そのはずなのに、終始ずっしりとした重さをもった存在感がこの人物には宿り続けている。
自分の住む世界からは一見遠く見える人物について、少しずつ時間をかけ、注意深く掘り下げて知っていく事。それは小説でしかできない発見体験の一つだ。
よく引き合いに出される通り、ジョン・ウィリアムズ『ストーナー』が好きな人なら本作はぜひ。
自分の幸せとは自分の中にしかないし、それは他の誰かと同じものであるはずも、同じでなければならない理由も一つもない。
とても満ち足りた読書体験だった。


『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩

今でもこの小説を読んでいた時の読書体験は上手く言葉にできない。大げさかもしれないけど「読む」というより、大きな時の流れと命の螺旋に自分も飲み込まれ、その一部へ「自分も、自分ごと接続された」ような感覚だった。

これからも上手く表現できる自信はないが、文学には命の連鎖の存在を伝え、愛の営みの美しさと、新たな命の誕生の感動を共有できる強い力がある、という事だけははっきり確信できる。


『歌え、葬られぬ者たちよ、歌え』 ジェスミン・ウォード

未だに葬られず、蓋をされ続けているBLM運動が象徴する、アメリカの暗部としての人種差別。
読み進める事が辛くなるほどの差別と貧困の歴史の中で、歴史に蓋をされ続けるかぎり、葬られない死者たちが大勢いる。そしてそれは日本でも例えば沖縄やアイヌ民族、在日韓国・朝鮮人の過去を顧みれば全く同じ事が当てはまる。というより僕ら日本の場合には、さらに無知識で無自覚ですらあるため、より深刻かもしれない。
お前は、こうも強く気高くあれるか?
それでも歌えと呼びかけられるか?
そう問われているようだった。


『夕暮の緑の光』 野呂邦暢

古本と古本屋、そしてその店主。好んだ作家や映画、喫茶店等々筆者の周辺にまつわる「好きなもの」が淡々と語られたエッセイ。
その口調はあくまで静かで、だからこそ慎重に選ばれた言葉には濃密さと熱とともに、じわと愛が伝わってくる。
好きなものはこう愛したいし、こう語りたい。自分にとっての憧れ。


『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子

読みながら、自分もチェス盤の海の中で泳ぎ、綴られた詩を追っているかのような想像の旅につれていかれた。
最強の手が最善とは限らず、問われるのは強さより善、強さより詩、強さより美しさ、ということ。そしてチェスは詩であり、自分を語る全てであること。それはあらゆる人間の創作物に通じる一つの真理とすら思えてくる。
「大きくなることは悲劇」
そして「自分の声より駒の声を大事にできること」。
これは2020年のコロナ禍で、自分たちが得ている教訓の一つとも思えてくる。


『ザリガニの鳴くところ』 ディーリア・オーエンズ

自然小説とでも呼びたくなるような、自然への微細でみずみずしい一つ一つの描写にまず魅入ってしまった。
その一方で「湿地で一人生きる少女」という設定によって浮かび上がる、ネグレクトや貧困、階層の分断と不平等といった今どの社会でも持っている問題群や、「女性として生まれた事で被る不条理」や「女性が独力で生きる事とは」といったフェミニズムへの言及がよりくっきりと浮かび上がり、読み手は受け取ることが出来る。
ミステリーでもあり、自然冒険的でもあり、恋愛でもあり、社会批判でもあり、フェミニズムでもある。ここまで多層的な読み取りが出来る小説は少ないと思う。ベストセラーに嘘はない。


『82年生まれ、キム・ジヨン』 チョ・ナムジュ

2020年に公開された映画『はちどり』を観て、やっぱり読まないとだめだなと手にとった言わずもがなのベストセラー小説。
1ページ読むごとにボディーブローを食らい続けていく、絶望的な読書体験として突き落とされた。
「女性に生まれた」というだけで被る男性社会からの理不尽さは、当然ながら「韓国だから」という言い訳は一切できず、というよりこの本が生まれたのは2018年という事を考えれば、今の日本の方が遥かにしんどい状況とも想像するし、その意味でも絶望感はさらに強まる。
もちろん、これは今後「現実世界で」連帯し、制度を変え、前へ進んで行くために必要な絶望感とポジティブに読み替える事もできるが、そんなことは男性側から言えることでは全くない。出来るのは「無駄な邪魔をしない事」に尽きるんじゃないだろうか。
この絶望感を男性側が想像できるか・共有できるか、が「言葉が通じる/通じない」に直結してくる。何らかの表現・代弁に関わる人であれば当然ながら必須となる想像力。


『たましいの場所』 早川義夫

一言で言うなら「人間味」。てらいなく丸裸で差し出された、健康体の言葉たち。
着色する自分が恥ずかしく思え、器用に生きないことがなんて正常的な行為なんだと感じ入ってしまう。

いい音はやさしい。(中略)いい音はどんなに音量が大きくてもうるさく聴こえない。音量が小さくてもちゃんと聴こえてくる。
言葉は喋れる人のためにあるのではなく、もしかしたら喋れない人のためにあるのではないだろうか(中略)「自分の意見」を言うためにあるのではなく、「正しいこと」「本当のこと」を探すために、言葉はあるのではないだろうか。


『ウォークス 歩くことの精神史』 レベッカ ソルニット

2020年のコロナ禍によって変わった自分の生活様式のうち、ポジティブな事を一つ挙げるとするなら「より歩くようになった事」。
「歩くこと」には、「考えをめぐらす」ような思考や創作行為につながるものから、「巡礼する」のような宗教的行為、そして「行進する」のような社会運動へつながる行為まで、さまざまな展開が含まれている。

歩行の歴史は、書かれざる秘密の物語

歩くことで人類史にどんな変化がもたらされたのか?を解き明かす超刺激的なテーマ設定ながら、かといって堅苦しさはなくむしろ詩情すら感じる美しい語り口なのもとても好み。
歩くことは「自分が望む場へ行くことができる」、身一つで出来るお金いらずの「自由を謳歌する行為」でもありますね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?