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雑記:-100からの再スタート;20190809

 最近は中々雑記を書く時間が無くて、今日までずっと長い時間が空いてしまった。反省。8/1に1200字ほど文章を書いたのだが、そのあと病気が一時的にひどくなったので続きが書けなくなった。今思えば途中のままでもアップロードすべきだったと思う。このシリーズの文章はスピードを重視していたのだから。
 
 最近の生活は、不穏な空気を孕みながらも、何とかつつがなく動いている。毎日、一応の用事を何とか作って外に出ている。ほとんどはアルバイトの面接や、公的扶助の為の事務処理だ。なるべく三時間以上外に出ていたいと思っている。
 
 就活は、中断した。
 
 辞めざるを得なかったのである。私自身はとにもかくにも正社員になりたかった。

 しかしどうやら、客観的にみると私という人間は「まだその域に達していない」らしかった。

 確かに七月後半までずっと、抑うつ状態が続いていた。当時は、不安が永遠に頭にこびりつき、気分は落ち込んだままぬか漬けの石みたいに動こうとはしなかった。特に生活における物事全てに対して、「楽しい」とか「面白い」とか思えないのが最悪だった。そういう事が続くと本当に、生きる事が義務であり苦役のように感じる。

 様々な事があり、自殺だけはしない事にしたが、それでもつらいものはつらい。


 そして八月に入った頃、前の記事の就職支援カウンセラーや精神科医と相談したところ、「そういう状態で無理に就活して内定をとっても、仕事が長続きするとは思えない。結局仕事をまた辞めてしまったら、またうつ病が酷くなる」と言われた。
 
 要するに九月十月までには就職は出来ないと言われたのである。
 
 私の過去からずっと遡って分析(認知療法という)したところ、どうやら私は軽微双極性障害とかいう名前の病気らしかった。

 双極性、といっても躁の症状はない。ただ一般的な普通のラインとどん底のラインを往復する、そういう病気だ。
 
 後天的な原因もあると思うが、おそらくそれは、生まれてきた頃から持ち合わせていた精神のしこりなのだろう。実際、私の父方の家系には精神系の病気を患った人が多い。遺伝的な原因は考えられる。
 

 病気と就労の難しさの話を受けたた当初、私は……困惑した。

 色々な反論が思い浮かんだ。私は早く収入を得なければいけないし、当然仕事も続けられるはずだ。何故なら辞められるわけがないのだから。私は生きなければならないのである。……だが論理的な反論は出来なかった。肉体労働に精神が耐えきれなかったのは事実だ。しかし、それで真実を飲み込む事が出来るだろうか?

 腹が立った。私はこれまで……大学を卒業してから、いやする前からずっと、ずっと頑張ってきたはずなのだ。なのに何故こんな目に合わなければいけない?
 
 本当に……本当に頑張ったんだよ。絶縁のような形で家を出て、頑張って一人でマンションの一部屋を契約して、一人暮らしを何とかこなして、就職活動もした、アルバイトも探した。そして……何とか一人前になろうとしたんだ。母や父に認められるために。身銭を切ったのは私なのだ。なのにそのせいで、私はそれより先に進めなくなってしまった。私は自ら足に付けた精神的足かせのために、私自身のゴールに歩めなくなってしまったのである。



 ……とはいえ、精神科医からそういう事を言われ、しばらくすると私は自分の状況を不思議と、受け入れていた。私の精神的な、人間的な問題は、私の範疇をとっくに超えていた。自分自身の問題には手が届かない。そうであるならば現状を受け入れ、社会人になるためのペースを落として生活をするほかないのである。
 
 私は就活を諦めた。
 今の私には無理だ。
 
 そう思うと(実際嫌というほど思わされた)、気分が楽になった。就活という重荷が、肩から外れたのである。私は、自分が人生の階段を初めて一歩下りたと思った。あるいは、とても大切な歯車が一噛み分、逆の方向に回転したような感じだった。不思議な気分だった。
 
 
 新しく処方された薬(エビリファイという)を飲み始めた。

 朝に飲むと吐き気(胃もたれ)と眠気があったので夕方飲むことにした。飲み始めて金土日は抑うつが酷く、何もできなかったが、日曜日になると少しずつ生きる事が出来るようになってきた。
 
 
 そして今週の月曜日から、色々と動き始めた。早寝早起き、そして節酒を心掛けた。節酒の効果はてきめんだった。アルコールの副作用として覚める瞬間抑うつに似た症状を示すから、うつ病の人間はあまり飲んではいけないのだという。
 
 また、色々な用事を済ませた。煩雑になるのでここでは書かないが、就職支援のところに行って今後の事を話したり、アルバイトの面接に行ったりした。面接の結果は悪かった。みんなが皆、大学卒業後の半年の空白(たった半年!)を見た瞬間に、顔色を呆けにも似た諦めの表情に変えるのは、悲しくてやりきれなかった。
 
 そうして、金曜日の今日を迎えた。
 
 様々な問題が今の私にはあると思う。まず働いてる経験というものが無いし、それを長続きさせるという試練も超えていない。それが今の私に出来るかもわからない。週三程度で短い労働時間のバイトで、慣らしていきたいのだが、そういう案件はない。立ち仕事も駄目なのでさらに求人量は狭まる。座り仕事は履歴書を見る。より高い水準が求められる。
 
 それから病気の事もある。私は果たしてこの病気を何とかいい位置に持っていけるのだろうか。私は何かを楽しんだり、子供のようにはしゃいだりする事が再びできるようになるのだろうか。あるいはその機能は永遠に失われてしまったのか。また、私はまた何か作品を書き上げる事が出来るようになるのだろうか。
 
 金……体力……孤独……そのほかにもたくさんの問題がある。

 そういう事はやはり夜、寝る前に考え込んでしまう事がある。すると例の不安や抑うつとした気分がやってきてしまう。疲れていれば早く眠れるのだが、ここ数日は朝の運動で逆に疲れ切ってしまって、中途半端に仮眠をとってしまう事がある、加減が難しい。
 
 
 でも出来れば何とか、今日は昨日よりいい日にしたいと思っている。

-100からの再スタート、5月の初旬に引っ越して就活を始めたころから見るとそう思えてしまい、悲しくなる。だがほんのちょっぴり希望はまだ残されてると思う。
 
 今も私は生きている。

 

ここまで読んでくれてありがとうございます。貴方の人生に幸運を、貴方の自我に祝福を。

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