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雑記:不安障害の話;20190822


 昨日派遣の登録会に行ってたら突然アレがやってきた。ぐらりと立ち眩みが最初にやってきて、顔の痙攣と始まって全身の震え、激しい耳鳴り。……パニック発作である。
 
 
 パニック発作と言っても重篤ではなく私の場合は軽いレベルの症状だと思う。(多分パニック発作という定義にすら当てはまってないのだが、私にもこれをなんと呼べばいいか分からないので、暫定的にこう呼ぶ事とする)

 強い不安やうつがやってくるというよりは、身体症状が否応なしにやってくるというタイプだ。何か仕事をしている時は大変だが、動かずじっと、耐え続ければやがて消えてくれるものである。
 
 
 最近は起きなかったのだが、やはり昨日は身体に負担がかかっていたのだろう。久しぶりにヤツがやってきてしまった。懐かしさまで感じてしまうほどだったが、やはり全身の不快感は耐え難い。
 
 
 この症状が始まったのは去年の夏ごろだっただろうか。最初は首の引きつりのような症状だった事を覚えている。首に違和感がずっと居座って、人の顔をうまく見られなかった。
 
 
 それから大学で、研究室が再び始まって、症状は度々起こるようになった。やはり研究はひどく気の滅入るものだし(個人的には)、研究室に勤める(!)事は私にとってとてもストレスだった(当時の話はあまりしたくない)。
 症状が始まるとエレベーターホールの前まで行って、白衣を着たままベンチに座り込む。そして安定剤を飲んで気分が治まるのをひたすら祈る。
 自分の身体が恨めしくなる。精神では頑張ろうとしているのだ、なのに、身体がもう動いてくれないのだ、と絶望的な気持ちになる。
 
 
 そういう時人間は自分でも気が付かないうち、狂気の淵へと一歩ずつ、後ろ足で歩んでいると思う。実際、私はそういうのが積み重なって、冬から春は様々な人たちに多大な迷惑をかけ、そして多くの関係を失ってしまった。修復できればいいと思う。でも、合わせる顔がない。
 
 
 過去、どうすればよかったのかと考える事はあまりない。何もできなかった。大学機関のカウンセラーも、アカハラを訴えられるところも、無力だった。
 大学にはセーフティネットが無い。精神的に病んでる人、アルバイトで単位を落とす人、留年する人、大学や研究室に行けない人、そういう人たちを「拾う」機関が無い。ブラック研究室に対するフィードバックも無い(だから研究室を抜けるために頑張って留年する人がいる。その時儲けるのはもちろん大学側である)。
 
 
 そして、ドロップアウトした学生、病気になった学生は、それでも「自己責任」という言葉で片づけられてしまう。
 それは、はっきり言って異常だ。
 
 
 ……大学批判になってしまった。話を元に戻そう……。
 

 多分、このパニック発作とは一生付き合っていかなければいけないものだと思う。パニック発作とは不安障害の一種であるのだが、不安障害の他の症状として恐怖症がある。いわゆる「高所恐怖症」などだ。もちろん症状の重い/軽いはあるので一概には言えないが。
 私は高所恐怖症と閉所恐怖症を持っている。閉所恐怖症は研究室に毎日エレベーターを使って移動する事から発症したが、高所恐怖症は生まれつきだ。しかも父親や祖父が高所恐怖症だから遺伝したのだという「思い込み」で、高所恐怖症になったのだ(精神的な気質はともかく、高所恐怖症は遺伝しない)。
 恐怖症は幸運にもほとんど生活に支障は出ていないし、話のタネにもなるのでむしろアイデンティティにもなっている。
 
 
 つまり、パニック発作も、完全に治す事はできないが、生活に支障が出ないレベルまで恢復すればまた違った捉え方が出来るかもしれない、といえるんじゃないだろうか。
 
 
 大学時代はこの自分の身体に恨みを持った。頑張ろうと思っても頑張らせてくれないのだから。でも、もしかしたらこの症状を「愛する」日が来るかもしれない、「恐怖症」のように。
 


 ここまで読んでくれてありがとうございます。貴方の人生に幸運を、貴方の自我に祝福を。

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